浴田由紀子さん面会記 一九九九・七・三

荒井幹夫記

 六月二十八日、花岡裁判のため上京。早めに出かけて浴田由紀子さんに面会した。
 由紀子さんのお母さんの上京に合わせて、反日の家族会でこの四年間いつも集まってきた。一月ほど前の五月二十日にも集まった。彼女に会いたいなという気持を強くしていたから、花岡の裁判はいい機会というもの。
 二十八日はあまり待たされないで面会室に入ると、すぐに看守と一緒に由紀ちゃんが入ってきた。おかっぱの髪の丸顔、知人のHさんそっくり。やあ……、面会室のしきりのガラスに両手をつけあってしばし声が出ない。顔は笑っているのにちょっとボクも目がかすんでしまった。
M 元気そうだね。お母さんにこの前あったけど元気だった。お父さんも元気だって聞いてた。
Y 強情ぱりだから出て来ないけど、盆栽なんかつくってるの。でもこのごろは数も少なくなったとか。
M お母さんが上京するときは東京の反日家族会の人、お母さんがただけだけどみんな集まっているんだよ。楽しいらしいよ、この間も。
Y 反日の家族会ってすごいですよね。あんなの、他にないですね。わたしたちは世間から切り離されているから、自分だけでがんばるんだから……。
 でも家族は近所とか世間の眼とかいろいろあって辛いですよね。
M その点で家族会はよかった。それとあんなすごい弁護団はなかったな。ところで将司君の証人尋問は?
Y あと一回、検事の反対尋問とこっちの弁護士さん、私も最後に一〇分程度発言できるの。あいさつ程度だけれど。
 内田弁護士さんと将司君はまるで仲間同士の話し合いみたい、「おい、これはどうなんだ」「うん、そうだったな」てな調子。新美弁護士さんも一度来てくれたの。
M あの弁護団は今でもみんな闘いの中心にいる人たちだよ。君らと同じ世代だな。それで安田さんなんか狙われたんだろうよ。変節しちゃうのもいるけどね。
Y 利明さんのことで、荒井さんから手紙もらったでしょう。パレスチナへ行ったら、「お前ら何してんだ、片岡は同志だろ」って、言われちゃった。手紙もらったとき、分からなかったの。一つの闘いを進めていても、一人ひとりは違うんだっていうこと。後で分かったの。
M うん。ボクも君らに教えられることで一杯だ。
 内田弁護士さん、忙しいのに、スポーツマンで、今でも山登り。五月ごろに内緒だって断って、栗駒山への登山道、宮城県の古川に近い湯ノ倉温泉口からの交通事情について現状はどうかの電話があって、その後ボクが事務所にうっかり電話しちゃったら、「それが秘密」で、ばれちゃったんだそうだ。「のんきに山登りなんかに行って」って、事務所でいじめられたんだそうだ。登山のほうは快晴でブナの緑と木漏れ日を満喫してかえったそうだよ。
Y わたしも栗駒山に登ったことがある。秋田県側の温泉に一泊して山に登って、宮城県側の温泉に降りたの。花のきれいな原っぱがあった。
M いわかがみ平に降りたんだな。栗駒山は今もあまり混雑しなくていい山だよ。でもこのごろ熊が出たりして。彼らも縄張りを人間に荒らされるからね。ボクはもうトシでだめだから、ふもとの温泉までだ。

 看守が「時間です」と言ったけれど、しばらく規制しない。二度目の催促で「じゃあ差し入れは何がいい?」と言うと、「ゴマ塩ふりかけ」と言う。「他には」」「なんでもいい。たくさん」と。そうだろう、狭い獄舎で不自由にしてるんだし、いろいろ考えることは多いだろうが、本を読み、手紙を書き、体操をし、手紙が来ればその返事、お菓子などあればいいだろうな、お花は? と聞いたら、夏はすぐ駄目になるからいいと。
 あっ! ……果物を差し入れるのを忘れた。
 看守が時間オーバーをあまり厳しく制止しなかったのは、支障のない話だったからかな。
 健康にはくれぐれも注意して! SAIKAI裁判がんばって!
(利明君のお父さん、四月十二日検査で右目が心筋梗ソク、左目が白内障で手紙が書けない、仮名がやっとだとのお便り。よくなることを祈りつつ、お知らせまで)


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