支援連ニュースNo.259

五邦人を解放したイラク人戦士たちに敬意を
五邦人に共感とねぎらいを

四月二三日 和光晴生

 お邪魔します。忘れた頃にやって来る天災オヤジの和光デス。
 人質作戦なんかが起きると、世の中こんなことになるのか、と今更ながら思い知る日々を四月八日の「事件」発生以来送っていました。私がかって引き起こしたのは、獄中同志釈放要求の「大使館たてこもり・逮捕監禁」事件ということで、今回のイラクでの件とは形態が異なるのですが、「人質事件」ということでの共通性はあります。人質とされた方々とその御家族たちとが、どれほど大変な想いをされていたことか、とあらためて思い起こさざるを得ません。そういうこともあって、「事件」第一報以来、涙なしには新聞を読めない日々が続いていたのです。拘禁症状か、はたまた年のせいか、我ながら涙もろくなりました。
 そのうえで、一番に私が言いたいのは、邦人五人を、日本政府の実に傲慢な対応にもかかわらず、見返りなしに解放したイラク人戦士たちに敬意を表する、ということです。
 米軍によるファルージャ地域への大規模攻撃は、明らかに無差別大量虐殺を企図したものです。一週間で七〇〇人以上もの死者が出たというのですから、実にあくどい国家テロの行使がなされていたと見なせます。米国人数人がファルージャ近郊で殺害され、遺体損壊の騒ぎがあったことに対する報復に、いわゆるコレクティヴ・パニッシュメント(集団連座懲罰)の形がとられた、ということです。これは「イスラエル」のシャロン政権がパレスチナで繰り返し行なっていることと全く同じことを、ブッシュのアメリカもやってみせた、ということになります。  アメリカも「イスラエル」もヨーロッパからの植民者が先住民の犠牲の上に築きあげた国家です。似たもの同士なのです。かくしてイラクのパレスチナ化、全中東地域のパレスチナ化が国家テロによっておし進められることとなっています。
 ファルージャ地域のレジスタンス勢力が外国人人質を確保することをもって、ことを国際化させることで、圧倒的な軍事力をもった敵に対抗しようとしたのは、止むに止まれぬ行動であったとは言えます。イスラム教の聖典「コーラン」では、女性は保護すべき対象とされています。女性を人質にするというようなことは、モスレムの社会では本来あってはならないことなのです。それにもかかわらず、日本人女性を人質として拘束したのは、よくよく、レジスタンス勢力の側が、せっぱつまった状況に追い込まれていた、ということなのでしょうか。
 その女性が、人道上のボランティア活動家であることが判明したところで、即、同行の男性ともども解放する決定が下されたことに、私は心から感謝と敬意を表します。人質とされた日本人の方々は本来、イラクのレジスタンス勢力にとっては、友人・味方である人たちでした。それが何とも不幸な人質と拘束者という関係になってしまったのは、アメリカによる無差別大量虐殺攻撃がなされていたことによります。それに加えて、日本政府が憲法違反の自衛隊海外派兵を強行していたからです。「自己責任」をとるべきはイラクへの派兵をゴリ押しした、小泉ポチ郎なのです。
 解放された五人の身柄を日本大使館が引き受ける形になったところで、日本政府が彼らを救い出したような顔をしはじめ、被害者である五人に心ない中傷・悪罵を投げつけることとなっています。日本はなんと未成熟な国であることか。やはり、戦後処理、歴史の清算をやらぬまま六〇年も平気でいるような国は、負けいくさからのリセットが出来てないということなのでしょう。なんとも日本は情けない国です。
 NGOの運動を展開している方々に、私から今回の教訓及び今後の課題として提起し、お願いしたいのは、将来また似たようなケースが起きた場合、政府筋にデカい顔をさせないためにも、NGOの連合体の代表なりが、人質の身柄の引き受けまでやりきれるような態勢を作り出せないものか、ということです。
 今回は五人の身元を、人道支援のボランティアや人民の側に立ったジャーナリストである、とマスコミ等々を通じてアピールするところまでは、NGOの側が随分と大きな力を発揮しました。アルジャジーラ放送のスタジオに日本から飛んで行って「居続け」をやったNGOの方もいました。
 私たち五人がレバノンで逮捕・拘留されていた折りには、救援連絡センターの皆さんに大変お世話になりました。今回、イラクで人質とされた方々の中には、岡本公三さん救援に力を尽くして下さった人もいました。私自身は長期刑攻撃下におかれ、他の人たちをお世話できる側に立てるのはいつのことやら見当もつきませんが、NGOの方々が、今回の件でめげず、くじけず、更に更に国際的な人道救援の活動を発展させて行かれることを願っています。
〈以上〉


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