支援連ニュースNo.265

〈緊急報告〉「接見禁止」が大幅解除になりました

和光晴生

 一〇月一四日付け、地裁決定として、一七名のリストにあげられた方々を除き、「接見禁止」を解除する旨、伝えられて来ました。一七名とは、旧「日本赤軍」メンバーとみなされたか、これまでの関連裁判に事件関係者として名前が出されたり、証人として出廷したりした方々です。具体的には、現在も裁判闘争中の重信・西川両氏をはじめ、以下、岡本公三、丸岡修、戸平和夫、足立正生、山本万里子、吉村和江、浴田由紀子、泉水博、城崎勉、の各氏、それに、かって国外から強制送還されてきたことのあるT、G、K、Sの各氏と証人として出廷したY氏、W氏、以上の方々です。それ以外の地球上の六十億人ほどの方々については面会、文書のやりとり、書籍などの授受を許可するということとなっております。ただし、東拘で面会、差し入れ等の手続きの際には、一七名以外の方であることを確認するためと称して身元を証明するものの呈示が求められています。
 とにかく、皆様のご支援のおかげで、これまで二〇〇〇年三月一八日の逮捕以来、四年半以上にわたって続けられた、検察側の嫌がらせでしかない「接見禁止」の処遇は、大幅に解除となったのです。
 私の裁判自体は、一九七四年の「在オランダ・フランス大使館占拠」と七五年の「在マレーシア・アメリカ大使館領事部占拠」との二つの事件をめぐる「逮捕監禁、殺人未遂」での起訴を受け、二〇〇〇年九月二〇日の第一回公判以来、検察側立証に三二開廷、弁護側反証に二八開廷、計六〇回の公判を経て、一一月二四日の論告求刑を待つ段階に到りました。年明け一月二六日には弁護側最終弁論と被告人意見陳述が日程化されております。判決は三月末ぐらいになるものと思われます。私は両事件への関与と、そこにおける主導的役割を担っていたこととを認め、「逮捕監禁」については争点とせず、「殺人未遂」については、「確定的殺意」も「未必の故意」も否定する、という闘い方をして来ました。それで、それほど長期化することのない形にはなっています。それでも一貫して「接見禁止」の処遇下におかれて来ました。
 これまで初公判時、検察側立証終了時、弁護側反証終了時等々の機会ごとに、弁護団の先生方が「接見禁止」解除要求を何度も何度も行なって下さいました。今年の五月二〇日には、「支援連」の皆様方の御協力も得て、二〇〇名近い方々のご署名をいただき、裁判所に提出しました。それが一ヵ月以上待たされた上で却下されたところで、七月には東京高裁への抗告も行なっていただきました。それも門前払いの形で棄却されていました。今回は、いよいよ論告求刑待ち、というところに到って、ようやくのことで、大幅解除をかちとることができたのです。
 検察側は「接見禁止」の理由として「罪証隠滅のおそれ」をあげていましたが、実際には、黙秘や否認を行なった者には徹底して嫌がらせを加えるということでしかありません。このような陰険なやり方は、憲法で保証されている黙秘権を否定することを意味します。罪証隠滅とは裏金操作隠しのために、勝手に会計帳簿を処分してしまうような警察や検察のやっていることです。
 かって丸岡さんは八七年当時に、三年八ヵ月も接見禁止とされました。私で四年七ヵ月です。更に、西川さんにいたっては九七年以来七年目に入っています。この数年、エスカレートしてきている「接見禁止」の乱用・長期化という検察の弾圧、強権行使を強く糾弾します。
 裁判自体は、「ハーグ」「クアラルンプール」の二件ともに、もう三〇年もの時間が経過しており、弁護側反証には著しい困難がありました。私自身も記憶の喚起が不可能なことが沢山ありました。刑法や刑事訴訟法の改悪が図られている現在、量刑面での厳罰化と、重刑化のみならず、時効期間もこれまでの最長一五年を二五年にして、そのうえ、裁判の迅速化(節足化)まで目指されています。これでは被告人は、防御権を行使できないことになります。記憶の喚起すら困難になります。私自身はこれまでの公判では、検察側開示証拠を逆手にとる形での反証活動を展開して来ました。敵の武器を自らの武器とするゲリラの闘い方そのものの裁判闘争となっています。そのような困難な闘いの中でも、多くの方々の御支援と弁護団の先生方の御尽力のおかげで、私自身は主張すべきことは十分に主張し、悔いのない形でやって来れたと思っております。皆様方に心より御礼申し上げます。
 私は国外にいた間は、立場上、国内との通信などは一切絶ってきました。組織を脱退したことを明らかにしないという約束を貫いて、国外での対人的な接触も限定して来ました。自ら「接見禁止」を課していたようなものです。
 レバノンでの逮捕、日本への強制連行を経て、裁判闘争を開始したのち、旧「日本赤軍」が解散宣言を発したことを踏まえ、裁判でも自分自身というものをはっきり打ち出すことを開始しました。そのことで生気を得たと言えます。実のところ拘留生活なんかは海外にいた間、部屋にこもる生活が長かったこともあって、私はそう苦にならないのです。それどころか、このたび接見禁止が大幅解除となり、制限、監視の下とはいえ、手紙のやりとり、多くの人と会うことなどがどんどんやれることとなりました。獄中にありながら、この三〇年間で一番自由を獲得したような気分でおります。
 一一月二四日に、検察側は丸岡さん、浴田さんに対して行なった求刑に匹敵するような長期刑を求刑してくることでしょう。
 私は一月二六日の最終意見陳述に向け、ラストスパートをかけ、頑張りぬきます。重ねがさね、皆さんの御支援にあつく御礼申し上げます。
〈以上〉


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