支援連ニュースNo.268

和光裁判は一審結審です

和光晴生

 一月二六日の第六二回公判が最終弁論と被告人最終意見陳述でした。これをもって一審は結審となり、三月二三日(水)午前十時からの公判が判決です。おかげさまで、これまでの公判で、反証にせよ意見提起にせよ、言いたいこと主張すべきことはすべて出し切ることが出来たと思っています。ご支援に心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。
 最終弁論は、川村弁護士が、本件身柄拘束の違法性について、レバノン・ヨルダンからの移送経過を踏まえた提起を行ない、川口和子弁護士が「ハーグ事件」を巡る弁論と、「重信共謀」が当裁判に持ち出されたことの不当性の主張とを提起し、古田典子弁護士が「クアラルンプール事件」についての弁論を行い、そして更に川村弁護士が検察側論告で示された露骨な「反テロ政治裁判」主張に対する批判を提起するという形で展開されました。検察側による「殺意」「共謀」「国際テロリズム」等の主張に対し、存分に反論を展開していただきました。かつての「東アジア反日武装戦線」の裁判及びこれまであった「日本赤軍」関連の裁判の中では「テロリズム」なる語は検察によっても一切用いられていなかったという事実を踏まえ、「テロリズム」なる概念は刑事裁判に用いられるべきものではないことが論証され、本裁判での検察側論告が「政治的性格」を持ったものであることが明らかにされています。
 被告人たる私はA4判罫紙七六ページからなる「意見書」を用意しました。そのうち五〇ページ分が反証にあてられています。私はこれまでの公判の中でも、検察側立証に対して徹底した反証を加えることをこそ心がけてきました。最終意見陳述も反証が基軸となっています。検察側立証に対して、イデオロギー的な主張を対置させることで自己満足するようなパターンは踏襲したくないと考えてのことです。「ハーグ」「クアラルンプール」両事件ともに三〇年も前のことであり、反証は極めて困難なこととしてありました。それでも検察側開示証拠を逆手に取る形での反証を徹底してやり切ることが出来たものと思っています。
 「最終意見陳述」の構成は次のようになっていました。一、はじめに、二、検察側「論告要旨」に対する批判と反論、(1)レバノン、ヨルダンからの「強制送還」手続きの違法性、(2)「論告要旨」の構成及びその論理展開の不首尾について、(3)警察・検察による自供調書偏重及び調書捏造への批判、(A)N調書における変遷・捏造について(B)T調書における変遷・捏造について(C)Y調書における変遷・捏造について(D)Y時効期限を巡る検察側の誤認について、(4)検察側の「殺意」乱発による重刑攻撃という手法への批判、(A)「ハーグ事件」を巡る「論告要旨」の「殺意」強調について(B)「クアラルンプール事件」を巡る「殺意」強調の問題、(5)「逮捕・監禁」状況を巡って、(6)英文「要求書」及び「声明文」を巡って、(7)「論告要旨、第4、ハーグ事件における重信との共謀について」への反論と意見提起、(8)「論告要旨、第6、情状」への反論、(9)「政治裁判」による厳罰要求への批判、(10)「国際テロリズム」の原点は大日本帝国にあること、三、大衆闘争、反体制運動への私の関わり、(1)「新左翼」の運動に参加するに至る過程(2)六〇年代と「新左翼」運動総括への私見(3)私とパレスチナ解放闘争及び「日本赤軍」との関わり(4)日本の現状について、四、おわりに
 以上のうち、朗読提起したのは半分以下です。弁論とダブる部分は朗読省略しました。
 反証を徹底させることを心がけてきた分、昨年一一月二四日の「論告求刑」以来、検察側開示証拠や公判記録をチェックすることに力を注いできました。その分、私自身の「総括・意見提起」ということでは内容的にはまだまだ浅く、駆け足的展開になっています。それらは公判外のところで更に意見発表を図って行きます。
 今回の「最終意見陳述」は「総括・意見」部分を中心に月刊「情況」誌の三月号に掲載してもらえるかも知れません。同時に、手書き原稿のままでのパンフ化も検討してもらっています。その場合も「反証」部分は省かれることになると思います。私としては「反証」にこそ力を注いでいたのですが、裁判の争点の細部に関係することが多く、裁判当事者以外には分かりにくいところがあるので止むを得ません。
 総括に関わることでは、「ハーグ」における重信さんの関与をはっきり否定したうえで、「日本赤軍」を重信私党と規定し、重信さんへの批判を提起しています。
 「四、おわりに」のところでは次のように表明しています。「私は自らの、そして自らが属していた組織の必要性を優先させて、他の人たちに犠牲を強いる人質作戦を実行しました。自らの都合を振り回すことを自ら律し、他の人の都合を尊重する、という姿勢に欠けていたことを認めざるを得ません。実際に被害を受けた方々が納得するだけの刑に服する用意があります。そこから私自身が行うべき慰謝も開始されます。
 検察側の論告は〈特別予防のために〉と称して、法を捨て、政治裁判をもって裁くべしと主張し、立証なきまま〈殺意〉と〈共謀〉を連発・連呼しています。そのような在り方は、私と他の三名とを国外から違法に強制連行してきた経緯に続く違法行為・超法規的行為の繰り返しとしてあります。
 日本が法治国であるか否か、裁くことによって裁かれることとなります。〈法〉の名の下の正当な裁きがなされることを要望致します」。
 朗読を終えたところで傍聴席の皆さんから拍手をいただき、とても力づけられました。朝から雪が舞う寒い日でしたが、傍聴においで下さった方々に心よりお礼申し上げます。
 ここまでは良かったのですが、この日の夕方、インターネット版のニュースに「元日本赤軍のコマンドがスーパーマーケットでさきイカ二袋(一二〇〇円分)を万引きして逮捕された」との報が流されました。テレビ朝日のニュースでもコメンテーターがさきイカ二袋を掲げ持って「これをとったのですよ」と言ってたそうです。東拘では二月五日(土)のラジオ番組の中で、今週のトピックということで言及されていました。ガックリです。当人は軽犯罪扱いで三日間の勾留で釈放されたとのことです。自身の心が傷ついたうえで、いたく反省もしていることでしょう。それでも私は、この件が旧「日本赤軍」の実体・実情を示したものとみなしています。かつてヨーロッパでの商社員誘拐未遂だとか、大使館占拠や飛行機乗っ取りとか、数件の人質作戦を実行してきた組織には、やはり反社会的・反人民的性格があったのだと真剣かつ深刻にとらえ返すべきです。重信さん逮捕の折りには障害者の方の名義を盗用して旅券を取得していたことも露顕しました。
 旧「日本赤軍」は非公然・非合法の組織であり、秘密主義の閉鎖的な共同体集団でした。そこには当然ながら組織に忠誠を尽くそうとすることが、社会に対しては不実であっても構わないとする集団エゴが形成されていたものとみなさなければなりません。今回逮捕された人は、重信さん救援の活動に専従のような形で関わっていました。その分、旧「日本赤軍」の体質をひきずったままでいたものと思われます。「リッダ闘争」やら「パレスチナ連帯」やら「革命組織」やらの看板をとっぱらったら一体ナンボのものとしてあるのか、ということになります。それに加えて、旧「日本赤軍」の総括は二〇〇一年五月の解散宣言以降、何ら深化が見られません。裁判中は総括論議はやらず、早期出所をめざす、というようなことも語られたりしていたようです。結果として、裁判闘争自体が思想的にも倫理的にも弛緩してしまっていたのではないか、という疑問も生じます。私自身心がけてきたことですが、裁判では検事よりも激しく自らを問い、裁判官よりも厳しく自らを裁く、そのような姿勢なくして裁判闘争への適正な方針は成立しません。
 私たちは実にみっともない集団であると、はっきり認める必要があります。そこから総括にせよ、裁判にせよ、取り組み方を建て直すことを旧「日本赤軍」の各位に呼びかけます。


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