通算制度における無期差別を問う   牢獄の法哲人


(1)通算の執行処理の方法について、現行実務が依拠している解釈を〈旧解釈〉とします。〈旧解釈〉とは、 有期の場合、本刑から通算を差し引いたものを執行刑として、その3分の1を必経期間とし、執行刑の終了 をもって満期日とするもので、無期の通算に関しては、これを一切執行処理しないで無視するというもので す。これに対して〈新解釈〉とは、有期・無期の差別なく必経期間(有期で本刑の3分の1、無期で10年) に通算を刑執行済み日数としてカウント(算入)するものです。なお、有期の満期日は〈旧解釈〉と同様、 仮釈適時が有期・無期とも通算分前倒しになります。

(2)『改正刑法草案の解説』(法務省刑事局1975・3・30、133〜4頁)によると、従来から学説上、〈旧解 釈〉と〈新解釈〉の対立があり、改正刑法草案においては、これに決着をつけ、〈新解釈〉を 採用したと解説してあります。〈新解釈〉を採用した根拠は、@「拘禁による苦痛という点では、 自由刑の執行と未決勾留等との間に実際上差異はなく」「通算された未決勾留の日数は現実に 刑の執行が行はれたのと同じ」つまり未決拘禁と既決拘禁は同質等価であり、通算日数は刑の 執行済み日数とみなし得るということ、A必経期間設定の趣旨は「その期間だけ拘禁による 苦痛を受けた後でなければ仮釈放を認めないという趣旨」だということ、B通算等の刑の 執行済みと認められる日数は必経期間にカウントできるという最高裁判例(最大判昭30・ 6・1刑衆9・7・1103)があること──に集約できます。

(3)そもそも通算制度とは、未決拘禁による身体自由権の侵害を、未決拘禁日数を刑執行済み日 数とみなすことで、救済(補償)するものであり、有期・無期の差別なく適用され救済(補償)される べきものです。ところが〈旧解釈〉においては、有期のみその通算が執行処理され、無期の通 算は執行処理されません。これは不公平・不平等というほかありません。有期の場合は、@満期が 前倒しされて懲役服務期間が短縮される上、A通算の3分の1が必経期間に裏口算入され る(ちなみに無罪放免の場合、未決拘禁日数は刑訴495条によって金銭補償される)──という 意味で二重に救済(補償)されているのに対して、無期の場合、何らの救済(補償)もされていな いというのは、明らかに不合理な差別であり、憲法14条[法の下の平等=平等保護の原則]に反する ものです。

(4)無期の場合にも判決で通算の宣告はなされているにも拘らず、〈旧解釈〉においてはこれ を一切、執行処理せずに無視するというのは、司法機関において認められた救済(補償)を、 刑執行機関が認めず執行しないというものであることからすれば、越権的な〈不利益変更〉 であり、憲法32条・39条違反であることは否定できません。

(5)〈旧解釈〉は、〈平等保護〉原則に反して無期差別を行なっており、確定判決を一部執 行しないものであることから〈不利益変更禁止〉原則にも反しており、その意味で二重の憲法 違反と言えます。バランス感覚に富んだリーガル・マインドからすれば、この指摘に納得する でしょう。〈旧解釈〉支持者に欠けているのは、このバランス感覚に富んだリーガル・マインドと言えます。

(6)〈旧解釈〉支持者が最後の砦とするのが、福岡高裁判決(52・12・6)のようなので、これについて 検討してみます。同判決理由中の〈旧解釈〉追認部分は、@「無期の通算が多く、それを必経期間 にカウントすると、有期より早く仮出獄するので不公平が生ずる」といった全くの無知に基づく誤判 断を主要な根拠にしているものであること、A〈旧解釈〉が法的に正しいことの憲法上・法律上・ 法理上の根拠を何ら示していないこと、B前示の最高裁判例(昭30・6・1)は「必経期間への刑執 行済み日数(通算等)算入」の法理を肯認しており、高裁判決より最高裁判決が優先するとい う〈上級審優越〉原則から、下級審である福岡高裁の単なる判決理由中の傍論的な〈旧解釈〉 妥当論は、明らかに判例足り得る妥当性を欠くものと言わざるを得ません。

(7)そもそも現行〈旧解釈〉下においても、有期満期より無期の方が早く仮出獄している例は、 多数存在しています。例えば有期上限20年の時代ても、無期仮釈17年・18年・19年といった事 案は多く見られます。したがって、有期満期より無期仮釈は早くなってはいけないという〈追 い越し禁止〉原則は、〈旧解釈〉下においても成立しておらず、故にこの〈追い越し禁止〉 原則をもって、〈新解釈〉不採用の理由とすることは論理的に不可能であるし、ましてや〈旧解釈〉 を正当化する根拠にもなり得ません。

(8)高裁判示が依拠する〈追い越し禁止〉原則は、そもそも現実には成立し得ないものですが、なぜ こういった誤観念が、高裁裁判官の頭のなかに生じたのか検討してみましょう。この〈追い越し禁 止〉原則は、三つの前提的誤判断から構成されています。@「本刑(宣告刑)が出獄序列を決定 すべきである」という主情的な観念美学、A仮釈応答日の早い遅いが仮出獄時期を決定している という事実誤認、B満期出獄と仮出獄はイコールであるという事実誤認──この三つです。

(9)「本刑が出獄序列を決定すべきである」というこの高裁判示の主情的な観念美学は、通算制度・ 仮釈制度の運用実態についての無知に基づいた一種の傾向的心理であるという意味で、 喩えれば「世間知らずのお嬢様美学」と言えるでしょう。〈旧解釈〉下で、A氏は有期10年・ 通算5年、B氏は有期6年・通算ゼロ──としましょう。本刑10年のA氏は、5年で満期出獄 できます。本刑6年のB氏は6年立たないと満期出獄できません。すなわち、本刑10年のA氏の方 が本刑6年のB氏より早く満期出獄できるのです。本刑の長さと満期出獄の順序(序列)は、こ の例では逆転しています。本刑は出獄序列を決定していません。これが通算制度の実態です。 これは何ら不公平ではありません。この方がむしろ公平なのてす。というのは、本刑10年のA氏は、 すでに未決で5年以上拘禁されており、その代償として5年の通算を得ているのであり、通算在 獄期間は5年(未決拘禁)+5年(既決拘禁)=10年であり、B氏の通算在獄期間は ゼロ年(未決拘禁)+6年(既決拘禁)=6年であり、量刑序列に乱れはなく、何の不公平も ありません。「本刑は何ら出獄序列を決定するものではない」というのが、〈旧解釈〉〈新解釈〉 に共通する実態に即した正しい原則です。

(10)第2の誤判断について。仮釈応答日は、複数ある仮釈条件のうちの一つに過ぎず、仮釈 応答日が早くなったからと言って、機械的に即、仮出獄が早くなる訳ではありません。仮出獄 の時期を左右する主要な条件は、受刑者本人の自己改善の進み具合であり、その核心は本人の更生 努力です。たとえ仮釈応答日が早くなっても、本人の更生努力が足りなければ仮出獄は遅れ、 満期出獄(無期では獄死)ということになるでしょうし、たとえ仮釈応答日が遅くても、本 人の更生努力が認められれば、仮出獄は早まることになります。すなわち「仮釈応答日の早い 遅いが仮出獄時期を決定している」のではなく、仮釈制度の運用実態に即して言えば、「本 人の更生努力が仮出獄の時期を左右している」というのが正しい原則です。これも〈旧解釈〉 〈新解釈〉に共通する原則です。

(11)第3の誤判断について。当高裁裁判官は、全くもって有期満期出獄と無期仮出獄との違 いを認識していないと言わざるを得ません。有期受刑者は、満期出獄すれは全くの自由市民で、 その諸自由権に何らの特別な制限を受けません(一定期間の職業制限はあるが)。有期受刑者も 仮出獄の場合、残刑期間は制限市民として諸々の制限を受け、再入獄ジョパディーに曝されますが、 残刑期間を無違反で経過すれば、満期出獄と同様、自由市民です。それに対して無期の場合は、 仮出獄しても、恩赦によって刑の執行免除を得られなけれは、半拘束的な刑の執行が死ぬまで続 き、制限市民として再入獄ジョパディーに曝され続けます。この違いは決定的です。そもそも仮出 獄とは免罪放免ではなく、獄内矯正処遇の獄外矯正処遇へのスイッチングであって、有期 満期 出獄と無期仮出獄を比べて、早いか遅いかとか、公平か不公平かを云々すること自体、まち がっていると言わざるを得ません。

(12)ここで高裁判示の〈追い越し禁止〉原則が仮に正しいとして、これを強行してみましょう。 そうすると前述の論証から明らかなように、通算制度・仮釈制度そのものを根底から否定・破 壊することになり、不合理な結果がもたらされます。すなわち、背理的矛盾に陥ります。したがっ て〈追い越し禁止〉原則は、現行〈旧解釈〉下でも〈新解釈〉下でも、採用することはできません。

(13)高裁裁判官が心配しているのは、要するに〈新解釈〉を採用し、必経期間に通算をカウントする ことで、量刑序列(無期は有期上限より重い刑である)が否定されてしまうのではないか、ということ なのでしょう。しかし前記のパラグラフ(9)〜(11)でも論証した如く、出獄序列と本刑(あるいは量刑)序 列は、パラレルに対応するものではなく、無期が有期満期より早く仮出獄したとしても、量 刑序列そのものにはいささかの乱れも生じるものてはありません。

(14)〈旧解釈〉の出所となっているのは、人権保護に薄い旧明治憲法下で旧司法省が発した一 片の非法律文書だそうです。当該文書は、人権保護に厚い新憲法へと移行する過程で廃棄 され、〈新解釈〉が立法されるのが当然でした。1970年代初頭の刑法改正審議で取り上げられ ましたが、立法化には至り得ませんでした。同じ旧明治憲法下の監獄法が改正され、受刑者 新法が立法化された時代的流れからすれば、通算制度に関しても〈新解釈〉立法化の 時期に来ているといえます。〈新解釈〉立法化に不都合な点は一つもありません。行政手続 法38条Aの趣旨からも、また仮釈審査じたいが行政不服審査の対象となり、裁判所の 司法審査ともなるという今日的状況からすれは、仮釈手続全体のより一層の明確性・ 透明性を高める上からも、〈旧解釈〉の廃棄と〈新解釈〉の立法化は避けて通れな い社会的要請・時代的要請と言うべきでしょう。

(15)本稿における主張の詳細については、http://mugunfasaita.blog51.fc2.com に掲載の 『無期囚による体験的〈無期刑〉論』を参照されたい。
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