前略、お袋殿。

川柳2句
               塀のなか直立不動の時代あり
               塀のなか世相の波を免れず

 陳舜臣の『諸葛孔明』(中央公論社、官本)のなかに次のようなくだりがあり、なるほどと感心しました。

 劉備は白水関をこえて、葭萌( カボウ)県にはいり、そこに司令部を置いた。
 こうして建安十六年(二一一)も暮れた。
 翌年正月、後漢の皇帝は曹操にたいして、
   サンパイフメイ ニュウチョウフスウ ケンリジョウデン
 ――賛拝不名。入朝不趨。剣履上殿。
の特典を与えた。
 「賛拝」とは、天子に謁見するとき、介添役( カイゾエヤク)がつくことである。みずから頭を下げるのではなく、介添役に「頭を下げなさい」と言われてそうすることになる。「不名」とは天子が彼を諱(イナミ・本名)で呼びすてにしないことをいう。天子が彼を呼ぶとき、あざなの猛徳(モウトク)、あるいは丞相公(ジョウショウ)というのだ。
 臣下はすべて天子の召使いであり、いったん朝廷にはいれば、「趨(スウ)」(小走りにうごくこと)しなければならない。それをしなくてもよいのである。悠々と、大手を振って、ゆっくり歩いてもよい。
 殿にのぼるとき、臣下は靴をぬぎ、剣をはずさなければならない。だが、曹操は靴(オ)をはいたまま、剣を佩びて天子のそばに行くことができる。
 ここに出てくる「趨」、「小走り」ですね。これは、現在も刑務所の中で存在しているのですよ。われわれ懲役囚は、工場内で移動する時は、この「趨」で移動しなければならないことになっているのです。「小走り」というのは、「普通の歩き」でもなく、「走り」でもなく、その中間のようなものであって、両の手を各々握り、その両の拳を各々腰骨のあたりに当てて、脇をしめ、腕はそのように固定したまま振らずに、足をチョコマカと動かして移動するというものです。
 今年の夏は、昨年に比べれば暑い方でしたが、本当に暑いという日数がそれほどなかったように感じられます。
                 塀の上秋風あらわれ流れ落つ
                 法師蝉いのち燃えよと鳴き急ぐ

                    1992.9.4芳正拝


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