前略、お袋殿。

       爆音を落として南下鉄の雁
       破れ蓮を尻目に波切る鯉の意気
 工場出役となってから、早や、14ヶ月が立ちましたが、この間、工場の同囚メンバーの顔ぶれもそれなりに変わりましたね、それは当然と言えば当然ですが。ざっと見て、三分の一ほどが入れ替ったでしょうか。出ていく人― 1)満期出所 2)仮出所 3)懲罰による転出・転業(他工場への配置転換) 4)官の命令による転出・転業 5)訓練生としての転出・転業。入ってくる人― 1)確定新入 2)他工場での懲罰による転業・転入 3)官の命令による転業・転入。私が就業している工場は、長期刑の人が主体になっているため、他の工場に比べるとメンバーの異動は少なく落ち着いた工場だそうです。でも、私の来る前の1年間と私が来た以降の1年間を比べると、「以降の1年間」の邦画異動が激しくなっているようです。
 紀律違反による懲罰は、「未決」と「既決」では、その具体的執行の態様は若干違います、根拠は同じ監獄法なのですが。「既決」の方が、その「差異化」がより細分化されているとでも言えましょうか。工場出役者の場合、軽いところから順に言うと、1)厳重注意、2)就業のままでの取調べで「叱責」「罰金(賞与金の差し引き)」「無事故章剥奪」の組み合わせ、3)入独取調べで「叱責」「罰金」「無事故章剥奪」「文書図画閲読禁止」「等級降格」「転業」「工場出役禁止」等の組み合わせ―こんなところでしょうか。「就業取調べ」というのは、従来の工場出役のまま、就業時間中に呼び出されて取調べを受けることです。「入独取調べ」というのは、工場出役が禁止され、舎房も「昼夜独居」の舎房に移転し、袋張りをしつつ、取調べを受けるものです。入独取調べで「叱責」段階ならばほぼ元の工場に戻れるようです。「軽へい禁」以上だとほぼ「等級降格」(2級は3級に、3級は4級に)となり、元の工場に戻れるかどうかは微妙な問題となるようです。又、「叱責」以上の懲罰を喰うと、昇級も遅れることになります。
 教育課長と面接したときの話ですが、「昔に比べれば同囚間のケンカはずいぶんへった」と感慨深かげに漏らしておりました。しかし、むろん皆無になったということではなく、最近も、管理部長が所内文芸誌の冒頭で辞のところで、「最近、相手の嫌がることに触れたり、また触れられたくないことに触れられて激昂してのトラブルがあとをたたない」という内容のことを書いていました。官が同囚間のケンカに重大な関心を払いその防止に努めるのは、この「同囚間のケンカ」が所内治安を著しく乱す側面をもっているからですが、私は別の観点から「同囚間のケンカ」はない方がいいと望んでいます。
 個人的な言争い、私的な争いとしてのケンカは、むろんシャバ社会でも日常不断に絶えまなく起こっているでしょう。その人口に対するケンカの頻度というのは、シャバ社会のそれに対してムショ社会のそれが格段に高いということでもないと思うのです。ムショ社会では、どんな小さなケンカでもそれが重大な結果をもたらす―その結果の重大性がシャバ社会のそれより重いということが問題なのでしょう。具体的資料がないので想像する以外ないのでいが、おそらく、ケンカ発生率は現今的にはムショ社会の方が低いのではないでしょうか。
 ムショ社会でのケンカ発生の背景を探ってみると、その潜在的なラインは二本に絞られるのではないかと思います。先ず、第一のラインというのは、一般的な背景としての、「心の憂さ=ストレス」の捨て処が極限されているところからくるフラストレーションの過剰蓄積です。例えば、シャバ社会としてのサラリーマン社会をとれば、たとえ、日常の仕事上での嫌な事があっても、仕事が終われば、彼ら彼女らには、その「心の憂さ=ストレス」を捨てる捨て口=排出口が色とりどり、数限りなく用意されており、それを好みに従って自由に選び取ることができます。それは、例えば、「酒」「女」「ギャンブル」「マージャン」「ゴルフ」「フィットネス」「エアロビクス」「ボクササイズ」「カラオケ」「アスレチックジム」「カルチャーセンター」などなど。
 懲役という「自由刑」(=自由剥奪刑)には、つまり、このような「心の憂さ」の捨て処が奪われている上に、その「労働」に刑罰的な重圧と威圧的な監視が上乗せされていることからくるストレスに毎日さらされているわけです。そこで過激蓄積されたフラストレーションが、溜りすぎたダムの水がその捌け口を求めて、ダム壁の小さい裂け目に喰い込むように、手っとり早いところ、ケンカへと流れる―こんなところだと思うのです。ムショ社会では、自由刑の構造上、ダムの水を合法的排出口から少量ずつ捨てるというかたちで、過剰蓄積しないようコントロールすることができない。そこで刑法に抵触する、あるいはそれ以前的なトラブルが「捨て処」となってしまう。
 このストック(蓄積)とフロー(流れ)の弁証法というラインとからんでくるのが、サイコダイナミズム(心理的な優劣感の力学)というラインです。人間というのは、例外なく一つや二つは必ず劣等感をもつているものです。また、その劣等感が強ければ強いほど、それを他人に知られまいとして、逆に見栄を張り、他人に対して他の点で優位に立とうとして他人のアラ探しをするものです。つまり、強烈なコンプレックスをもっている人間こそ、他人のコンプレックスに敏感であり、他人のコンプレックスをあばき攻撃することで、他人に対して優位に立とうとするものなのです。このコンプレックスの力学は、弱肉強食の生存競争のあるところ、常に働いている法則です。ムショ社会も、また、シャバ社会と同じく競争社会であることは否定できません。ムショ社会がシャバ社会に比べて特殊的であるのは、より強度の状況的コンプレックスをもたざるを得ない場所だということです。というのも、表面的にはどうあれ、懲役囚は刑務所の門をくぐることで、「落ちるところまで落ちた」という落転意識から自由になることはできないからです。ムショ社会にまで落ちて見栄を張ってもしょうがないだろうと思うのですが、それが逆なのですね。
 落ちるところまで落ちてしまったがゆえに、逆に、その劣等感から逃れようとして、また、同囚に弱みをみせまいとして、同囚に軽んじられまいとして、見えすいた見栄を張り、背伸びしようとするのです。つまり、互いに自分の痛い所を隠そうとして、相手の痛い所をあばき突く―そうすることで、ムショ社会の生存競争を勝ち抜こうと肩ヒジを張る。―これが同囚間のケンカの一般的原因といえるでしょう。
 現今、徒党を組んで集団で新入りをしごく「新入りいじめ」は見られなくなったようですが、個人的な形での「新入りいじめ」はあるようです。「新入りいじめ」は、古顔囚のフラストレーションの捌け口ですな。それと、「支配―被支配」関係の確認行為です。古参囚のなかにも、「新入」に親切なものもいれば、「新入」の無知につけ込んでいやがらせを行なうものもいる―と見るべきでしょう。
 懲役囚というのは、だいたいが一くせも二くせもある連中です。その中でも、嫌われ者の、二くせも三くせもある連中もいます。例えば―
 1)弱いものいじめをする懲役。弱いものをペット化していたぶる懲役。
 2)実力も器用もないのに上に立って場を仕切ろうとする懲役。
 3)目立ちたがり屋の懲役。
 4)職員以上に口うるさく同囚のミスや失敗を咎め立てする懲役。
 5)職員にゴマをする懲役。いい子ブリッ子する懲役。
 6)嫌な仕事は他人に押しつけ自分は楽をしようとする懲役。
十人十色、人それぞれなんですが、だいたいこういったタイプの懲役がトラブルメーカーと重なっていますね。
 〈中略〉
 今回は、少々、感情が昂ぶった書き方になったようです。
 ともあれ、御自愛を。
             1992、11、9
                      芳正拝


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