前略、お袋殿。

       食い正月食い気節欲せめぎあい
       初鴉ものほしそうに塀の上
 こちら、例年の如く、特に変化のない正月でした。
 3日にビデオ鑑賞があり、出し物は「2時間40分もの」で黒沢明監督の『乱』。途中にCMが入ってなかったことから推測すると、テレビ放映の録画ではなく、ビデオショップから借り出したものでしょう。しかし、これが同囚の感想を聞くと、あまり評判はよくない。というもの、それは、おそらく、時代劇とはいうものの、「水戸黄門」の如き単純明快さに欠けるからでしょうか。
 塀の中で日常テレビで見れる時代劇というと代表的なのは、(1)「水戸黄門」(2)「暴れん坊将軍」(3)「徳川三代将軍家光忍び旅」などですが、(2)(3)は(1)の二番せんじ三番せんじといったところで、要するに、主人公が最後に「葵」の紋所を示して悪代官を懲らしめるというワンパターンを毎回くりかえしてあきないという懲悪劇ですね。この懲悪劇では、勝敗が明確であり、つまり、勝者が誰で、敗者が誰であるかはっきりしており、その勝者・敗者とも具体的キャラクターに具象化されているわけです。なおかつ、「お上」の裁きが、建前的な法のみの冷たいものではなく、「惻隠の情」を加味したものであることがミソです。火急権力の「法」に泣かされている庶民を、権力のトップレベルが「惻隠の情」に発して救い、下級権力に巣食う「悪人」を征伐し、浄化する――全く同じパターンながら、庶民はこのパターンに涙し、カタルシスするのです。このハターンは、言いかえれば、「世の中」捨てたもんじゃないという人間讃歌です。ここには人間否定のペシミズムはひとかけらもありません。
 ところが、黒沢明の『乱』は、このパターンのアンチテーゼであり、まさに、人間讃歌の反対の「人間の愚かさへの呪い」をテーマとしたものなんですね。この世界には勝者はいないのです。人間は、だれもが敗者となる運命にあるのです。後に残るのは、人間の愚行と悲惨さの積み重ねという地獄だというわけです。
 鉄砲隊が出て来ますからドラマの舞台は、戦国時代末期ですか。一生涯をかけて一国を支配統一するに到った一文字家の70才すぎた当主が、家督を息子に譲るところからドラマは始まります。息子は三人いて、上から「一郎」「次郎」「三郎」。当主は、家督を一郎に譲るに際して、三人の兄弟に団結の必要を説くために三本の矢のたとえを持ち出します。一本の矢だと簡単に折れてしまうが三本束ねれば折れないというやつです。実際に三本の矢をつかって、三人兄弟の一人一人に試みさせるのです。一郎、次郎には確かに折れない(折らない)。ところが三郎が試みると折れてしまう(折ってしまう)。この三郎のみは、現段階での当主の隠退に反対し、追放されてしまいます。当主は家督を長男の一郎に譲り隠退して「大殿」となりますが、家督を引き継いだ長男は、全当主である父を「大殿」として遇するという約束をホゴにして、「権力」を失った父を城から追い出し、追っ手を向けます。この長男を裏から煽っているのが長男の嫁で、この嫁は、全当主に滅ぼされた豪族の娘なのです。この後の展開は、次男が謀略で長男を謀殺し、長男の嫁は、今度は次男の奥方になり、一族の仇敵たる「一文字家」を内側から滅ぼすべく、次男を破局へ向けて煽り立てていく――といったストーリー展開です。
 ここには誰一人、「勝者」はいません。「驕れる者久しからず」の世界です。一時(いっとき)の勝者も明日の敗者です。こういつた戦国領主間の血みどろの戦い、領主一家内の骨肉の争いといった修羅の世界を描き出すことで、あぶり出されてくるのは、血で血を洗う争いがもたらすものが悲惨さと苦しみ以外のなにものでもないということがわかっていながら、そうせざるを得ない人間の深い業(カルマ)といったものなのでしょう。『乱』における黒沢の方法は、「一時の勝者」がいかに多くのもの、多くの人を犠牲にしてその「一時の勝利」を築き上げてきたのか、それゆえに、その「一時の勝利」がいかにもろく、はかなく、亡び去ってしまうものであるのか――そこを貫く、人間の愚かさを突き出すことで観客に向けて「さてあなたはこの世界でどう生きていく」と問う、ということになりますか。
 『乱』は、その時代背景(舞台)は、戦国時代ながら時代劇的な活劇(アクション)ではなく、むしろ、戦国時代という舞台を借りた近代的心理(サイコ)ドラマと言った方がいいかもしれませんね。それゆえ、「水戸黄門」的なカタルシスを期待して『乱』を観ると、その期待を裏切られることになるわけです。でも、私自身は、「水戸黄門」的なワンパターンより「くろさわ」的な『乱』パターンの方が退屈しません。こういう名作(?)的ビデオならバンバン観せてほしいものです。
 新聞によると、昨年末の検事の人事異動の欄に、懐かしい(?)名前が出ていましたよ。古賀宏之(上告の公判立会検事)が岐阜地検検事正から広島地検検事正へ、関場大資(まり子さんの取調検事)が公安調査庁次長から浦和地検検事正へ、広野弘(利明君の取調検事)が最高検検事に、松浦恂(芳正の取調検事)が山形地検検事正から公安調査庁次長へ――それぞれ栄転ですか。そのほか、高橋武生(将司君の取調検事)が現在、東京地検次席検事で、増井清彦(クアラ事件、ダツカ事件にタッチ)が東京地検検事正でしたか。当時の第一線の取調検事は、大概、出世コースに乗っている上、出世のコースも早いのではないですか。それも、やはり、言われているように、公安検事より特捜検事の方が早いようですね。
 ところで、「祖父」の父は「曾祖父」ですが、「曾祖父」の父はなんと言いますか?孫の子は「曾孫」で、「曾孫」の子は「玄孫」と言うようですが。
 「曾祖父」の父はなんというのかわかったらおしえてください。
 1月26日で、45才になります。
      1993.1.12 芳正拝


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