前略、お袋殿。

        寒極み逃げ処なき影法師
        刈り立ての頭皮に貼り付く余寒かな

 先ず、離婚届を出したことを報告しておきます。彼女宛には、2月4日に発信しておりますので、関係書類に問題がなければ、すでに役所に提出済みであると考えられます。(中略)
 最近、集会等の出し物のビデオは、レンタル・ビデオのものが多くなった感じがします。今までは、ほとんどテレビ放映のホーム録画ものだったのですが。週休2日制による余暇予算(厚生教育費)が増えたためでしょうか。1月の3級者集会の出し物は『ラスト・Uボート』でした。
 粗筋を言うと、第二次大戦(ヨーロッパ戦線)末期、ナチス・ドイツ敗北寸前、ドイツの新鋭潜水艦“Uボート”が日本へ向けて出航します。この艦には、二人の日本人将校が乗り込みます。この二人の任務は、ドイツから譲り受けた原爆用のウラニウムと新兵器の設計図を日本に運ぶという設定になっています。このUボートの出航は、ただちにイギリスに察知され、近海の駆逐艦が捕捉セン滅に向かいます。ところが、航行途中にして、ヒトラーが自害し、ドイツが連合国に降伏したという電波が入り、そこで「このまま日本へ向けて航海を続けるか」「イギリスに投降するか」という二者択一が迫られるわけです。艦長は、乗組員の生命を第一にして投降しようと決断するのですが、同乗のナチス党員と日本人将校は投降を拒否し航海の続行を主張して対立するわけですな。この間、一旦、白旗をかかげつつも、接近してきたアメリカの駆逐艦を魚雷一発でしとめてしまうというアクシデントがあって、降伏しても全員、戦犯として銃殺されるという情況に追い込まれてしまいます。ラストは、日本人将校2人が服毒自害し、ドイツ人乗組員はイギリスに投降するということになります。
 この映画の思想(コンセプト)は、凝縮すれば、第二次大戦の主役は、ドイツとイギリスであって、アメリカと日本は脇役にすぎなかったというヨーロッパ中心主義とでもいえましょうか。というのも、ドイツの軍人とイギリスの軍人は、人間味あるキャラクターとして描かれていますが、アメリカの軍人と日本の軍人は、まことに類型的かつマンガ的に描かれています。ポイントは、戦争に対するドイツ・イギリスの将校の入れ込め方と日本の将校の入れ込め方の相違といったものでしょうか。この映画の根底の価値観は、「西欧ヒューマニズム」対「日本的神がかり」といったものでしょうか。
 3月の個室優良室テレビの出し物は、山田洋次監督の『ハラスのいた日』というものです。これは、一匹の柴犬と大学教授夫婦の物語です。子供のいない夫婦が一匹の柴犬を飼います。夫はドイツ語の先生です。名前を“ハラス”とつけます。これは、ドイツ語で「ポチ」とか「太郎」とかいつた感じのものだそうです。もらわれてきた時、ハラスは生後2ヶ月でしたが、それからハラスが16才(ぐらいでしたか?)で死ぬまでの(老)夫婦との愛情の交流が軸となってドラマは進行していきます。この映画のヤマ場は、スキー場の蔵王山中での、ハラスの失踪事件ですね。結局は見つかるのですが、失踪から帰(生)還までの間の、夫婦間の心理的ドラマというか、「擬似息子」とでも言えるハラスに対する男親と女親の愛情表現の出し方の違いみたいなもの、あるいは「(擬似)息子」を失うことに対する心構えの相異みたいなもの――この映画のポイントはこのあたりにあつたのでしょうか。深読みすれば、飼犬と老夫婦とのドラマを描きつつ、実は、逆説的に人間の親子関係を照らし出そうとしたのではないか――とも考えられます。この映画は、なんとなくお袋好みの映画ではないかと思いますが‥‥。
 そうそう、この『ハラスのいた日』のワン・シーンとして、この独文科教授の勤務する大学での「学園闘争」(?!)がそう入されているのですよ。これにはわれながら微苦笑でした。時代考証的には、かなりおかしいのですが。というのも、柴犬がもらわれてきたのは1972年で、このドラマはそれ以降の時間的流れなんですが、「全国学園闘争」華やかなりし頃というのは1967〜1969年ですからね。それとも「1972年」というのは「昭和42年」の私の聞きまちがいなのかな。
 ともかく元気にやっております。
         1993.2.6  芳正拝


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