前略、お袋殿。

        虫の声に聴き入る孤囚虫と化す
        山鳩の声まろくして奥の秋

 『死刑廃止論』(団藤重光著)の続き。12〜13頁の「死刑存廃の世論調査」のこと。総理府アンケートの問題点は、これが明らかに誘導尋問的な設問であることにありますが、それ以前に、この種のアンケートを政府機関がやること自体に問題があるのですね。死刑存続を望んでいる政府の一機関がやること自体、アンケート実施、その結果の客観的中立性をあらかじめ奪うことになっているわけです。こういうアンケートは、国家権力から独立した民間調査機関が委託実施してこそ、客観的中立性が保証されるというものです。アンケート項目についても、一般公募に付し、法学者を含めた民間人で構成する審査会が審査し決定すべきなのです。
 アンケートの出し方については、「誤判の可能性を前面に打ち出す」(団藤)だけでは不十分だと思います。ポイントは、そうではなく、「死刑を廃止して、どうするのか」その対策を打ち出すことだと考えます。
 総理府アンケートのポイントは、保守的市民の防衛意識にアピールするところにあるわけです。くだいていえば「死刑を廃止すると、殺人犯が再び出獄して、あなたたちの生命・財産を脅かすことになりますよ」と威嚇するのです。だから、「死刑を廃止しては困るでしょう」というわけです。
 感情論を排して論理的に分析すれば、「死刑存置」の刑法思想には二つの柱があります。教育刑思想からは「死刑存置」の論理は出て来ません。「死刑存置」を是としているのは、応報刑思想と社会防衛思想です。でも、この両思想とも、決して「死刑存置」を積極的かつ必然的に肯定する論理的な力はないのです。
 先ず応報刑思想ですが、もしこれを全面展開したならば、現行の刑法体系は崩壊してしまいます。応報刑思想とは、等価報復の論理であり、眼をつぶした者は、眼をつぶされねばならず、命を奪ったものは命を奪われねばならぬという復讐感情を源動力とした私的報復の論理です。もし、この論理を全面的に実現することになれば、復讐が復讐を呼び、報復が報復を呼び、社会は血の海の中に自滅する以外ないでしょう。したがって、社会が社会として存続していくためには、これを制限せざるを得ないのです。かくして、私的報復は全面的に禁止し、替って国家が、被害者の私的報復を代行するというのが、近代刑法です。すなわち、近代刑法は、被害者の私的報復権を不等価な形で、国家が代行することで、被害者の私的報復を全面的に禁止しつつも、その私的報復感情に部分的満足感を与えることで悪無限的殺戮戦による社会の自滅を回避しようとする一面をもっているわけです。すなわち、近代刑法は、国家が被害者の私的報復権を吸収しつつ、しかし、報復の等価性は否定し、不等価報復を原則化しているのです。
 例えば、近代刑法では、「殺人犯→死刑」ではありません。人を殺したからと言って、全ての殺人犯が死刑になるわけではありません。最高刑を死刑としつつ、執行猶予まで幅の広い刑が準備されています。人を殺しても、実刑を免れることもできるのです。つまり、死刑が廃止されていない現在でも、殺人犯が大手を振って社会に舞い戻っているのです。この状況は、死刑を存置しようが廃止しようが変わらないのです。すなわち、不等価報復を原則としているがゆえ、必ずしも死刑が最高刑でなければならないという論理的必然は全くないのです。つまり、死刑を廃止しても、不等価報復の原則は十分成立するのです。むしろ、人権保障を唱う憲法の下で不等価報復の原則をより純化つつ貫徹しようとするならば、死刑廃止こそ論理的必然となるのです。したがって、応報刑思想は、死刑存置を肯定する論理的力に欠けるものなのです。
 では、社会防衛思想はどうでしょうか。この思想のポイントは、殺人犯の社会的再起を阻止することで市民社会の私的財産秩序を防衛しようというものです。ここでは、とりあえず、殺人犯の社会的再起を阻止するという目的を現実する上で、死刑という手段は唯一の手段なのか、ということなのです。この手段は、終身禁固でなくて、なぜ死刑なのか、なのです。社会的再起の阻止という目的に対して、その手段は、なぜ、死刑でなければならず、終身禁固であってはならないのか。社会防衛目的にとって、この両手段は等価です。違いは、死刑は人間の命を奪うという生命剥奪刑であるのに対して、終身禁固は、自由剥奪刑であるということです。このように見れば、社会防衛思想も、また、死刑存置を肯定する論理的力に欠けるのです。むしろ、被害者・加害者の人権的均衡を計りつつ、社会防衛目的を実現しようとするならば、死刑は終身禁固にとってかわるべきなのです。そうすることで、現行刑法じたい、自由剥奪刑の体系として純化し得るのです。
 したがって、死刑廃止のアンケートの設問はこうなるのです。―「最高刑として死刑を廃止し、新たに終身禁固を最高刑とすることに反対の具体的理由を、あなたは持っていますか」
 なんと言っても、死刑という生命剥奪刑は、国家の、私的報復感情への無原則的な屈服であり、近代刑法の没論理的な恥部だということなのです。とりあえずは社会党、公明党あたりをつついて、細川内閣の下で、死刑廃止の世論調査を実施することでしょうか。獄外にその程度の知恵者もいないというならば、これはもう点を仰いで、長大息する以外ありませんな。
 7月23日付読売新聞に出ていた裁判の記事。元運転手で、「爆取殺人」に問われた事案で一審死刑が、控訴審判決で無期。その判決理由に云く「多数人の爆殺を狙ったものではないから」―というのが出ていました。おそらく、検察側は、上告したでしょうが、この判定基準が定着するとすれば、私の無期は、不相当ということになるでしょうね。せいぜい有期20年がいいところです。団藤流の「動的刑罰論」からすれば、当然、量刑相場の下方変動も、再審請求理由としては悪くないということになるでしょう。刑訴法の早急な改正が無理ならば、当面は恩赦の弾力的運用でカバーすべきではないでしょうか。
  〈中略〉
 新聞報道によると、「法務政務次官」には、社会党の佐々木秀典代議士が就任と出ていましたが、「政務次官」はどんな職務を行うのでしょうかね。『知恵蔵’93』には、―「国務大臣を長とする省庁に、大臣の政務を補佐するために設けられている政治的任命職。対外的には『副大臣』として考えられているが、自民党政権が長期化する過程において、議員のキャリア・パスに明確に組み込まれ、ほぼ当選三回生が登用されている。かって、『盲腸のようなもの』と語った政務次官がいた……」。細川政権下でも、「盲腸のようなもの」でしょうか。
 1993.9.5 
  みなもとのよしまさ拝


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