前略、お袋殿。

 「人」紙(今年8月号)に、投稿した和紙の俳句が《推薦》に選ばれて掲載されていました。このランクは、《推薦》がベストで、その次が《秀作》、その次が《佳作》となっています。今まで、《佳作》、《秀作》に選ばれたことは何回かあるのですが、《推薦》は今回が初めてです。私じしんは必ずしも上出来の句とは思っていなかったのですが。

    ◎水洟や湯上がりの房われ独り   宮城 絵夢師

     (評)獄中では入浴後の快は最良のものであろう。風邪気を
        押して入浴し、一番乗りの湯上がりを享楽しつつ、作者
        は風邪をひいたためか、水洟をすすっている。
 この句に込めた私の意は、選者の評とは、ちょっとずれています。選者は、この句のポイントをむしろ、「湯上がり」の方においていますが、私は、上句の「水洟」においています。言いかえれば、「水洟」を強調したいがために、上句にこれをもってきたわけです。選者は、「われ独り」から、雑居の中で、一番風呂ゆえに、未だ他の同房者が帰ってこず、独りなのだ――と解していますが、これは読み込みすぎですね。
 作者たる私は、40過ぎたいい大人が水洟をたらしていることの「カッコ悪さ」に自嘲しているのです。この自嘲の中には、入浴すべきではなかったという反省も含まれています。と同時に、拭いても拭いても、5秒もたたずに水洟がたれてきて、ちょっと油断すると、読んでいる開いた本の上に、ぽたりと落ちてしまう――そういう苦痛と患わしさに苛立っているのです。しかし、こういったカッコ悪さが、もし雑居なら他人に見られて、又、不快感を与えるゆえに、気づかい、気がねしなければならないのですが、独居ゆえ、そういった気づかいは不要で、思うぞんぶん水洟をたらし続けることができる――そう言いたいのです。「房われ独り」の描写をもって、こういった意を表現しようとしたのです。確かに、刑務所生活のなんたるかがわかっていないと、この句の濃(コク)というのは、味わい尽くせないかもしれません。
 ちなみに、今まで「人」紙に取り上げられた私の俳句は次のようなものです。

 @ 青空の濡れ落ちたかいぬふぐり (93年8月号 佳作)
 A 独り食う満月の団子餡の黒   (94年2月号 佳作)
 B 冬の蜂日溜まりのなか時を噛む (94年4月号 秀作)
 C 鬼籍に入る友を指折り除夜の鐘 (94年5月号 秀作)
 D 息白くテレビに見入る夜の房  (94年6月号 佳作)
 E 病む夜長耐える時間が立ち尽くす(95年4月号 佳作)
 F 飛行雲みちのくの空冴え返る  (95年6月号 佳作)

                         1995.9.23識
                                芳正拝


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