前略、お袋殿。

 連絡が遅れてしまいました。実は、3月5日から入病しています。風邪が引き金になった喘息の重積発作で、入病は4年ぶりでしょうか。現在は、風邪も直り、発作も止まって安静状態を続けており、心配はいりません。詳しいことは、いずれ報告します。では、お元気で。
                     1998年3月18日
                               芳正拝


前略、お袋殿。

 今回の、入病をともなう〈風邪→重積発作〉がなぜ起こってしまったかを考えると、初めは訳が分からない状態でした。この四年間、軽い風邪にかかったことはあっても、大事に至らずに治り、喘息の発作に結びつくことはなかったからです。私自身二度と重積発作→入病の苦しみは味わいたくないと思い、夏場であれ、毎日、うがい・手洗いを励行し、冬は、早めに布団に入るよう常に心掛けてきました。
 それが、なぜ?―というわけです。考えてみるに、このところ変わったことはしていません。しかし、よく考えてみると、考えられるのは一つ、臨時で理髪夫をやったことです。理髪夫をやっていた人間が入独し、その代わりに私が出てくれと頼まれ、引き受けたのです。それが、2月28日の土曜日です。
 理髪を行う空間というのは、どうしても、刈った頭の毛片やフケや、理髪される人間がゴホンゴホンして出したウィルスで充満しています。30人近い人間が出して立てたものが浮遊しているわけです。特に冬は、閉め切った空間で行わざるを得ず、また、必ず何人かは風邪をひいています。刈られる側は、この空間に、五分居るだけで出て行きますが、理髪夫は、約1時間半、この空気(風邪ウィルス、フケ、毛片etc)を吸い続けてしまうわけです。その上、理髪夫は、風邪をひいている人間のそれであれ、理髪するためには頭や毛を直接、素手で触らなければならないし、顔に直近でセキを浴びせかけられることもあります。私が担当した複数人の人間も、今、考えてみるとゴホンゴホンやっていました。されを、私は肺深く吸い込んでしまったのでしょう。
 確かに、理髪作業後、房に帰って、ウガイをし、きちっと石けんで手・顔を洗ったのですが、すでに肺深く大量にウィルスを吸い込んでしまっていたのでしょう。というのも、今回の風邪の起こり方というのは、ハナ水セキや喉痛の先駆症状なしに、突然、高熱→発作に至ったのです。つまり、鼻→喉→気管支というように徐々に感染していったのではなく、一気に、気管支の奥深くで増殖したということです。
 高熱→発作の劇症が突発したのは、3月4日(水曜)です。それまでは、至って調子がよかったのです。食欲も充分あり、全く風邪の症状はありませんでした。4日の夜、熱は39度8分で、発作も止まらず、これはもう入病する以外にないと観念しましたね。
 3月5日(木)は、出役せず、残房して、診察後、入病となりました。新病舎に新築されてから初めての入病となりました。
 考えてみれば、配食夫(理髪夫)をやっていた時、確か2度入病しているのですが、その時も、理髪をやった3,4日後に風邪→重積発作という過程をたどって入病したのだったと思い出しました。
 11時頃入病して、すぐに左腕に点滴を始めました。熱は依然38度9分ありました。点滴で抗生物質とネオフィリンの投与が行われました。この時から6日間、約150時間ブッ続けの点滴が行われることになります。(1日24時間睡眠中もです)こういったブッつづけの点滴は今回が初めてです。前に入病した時は、せいぜい昼間、5,6時間のものでした。
 40度近い高熱での重積発作状態での〈苦しみ〉は、死んだ方が少し楽かなというぐらいの苦しさで(それに比べれば懲役労働は楽なものです)すが、24時間ブッつづけの点滴というのも、別の意味で苦しいものです。それは、第一に、睡眠中も、ヘタに寝返りを打てず、ほぼ一定の姿勢を強いられるということです。ヘタに左腕を動かすと針が外れたり、血管が破れたりするのではないかという警戒心が常に意識の片隅にあります。しかし、左腕は、こうして固定状態にしておくと、いずれ痺れてきます。この痺れ状態が続くと、今度は腕が痛くなってきます。こういう場合には、少し腕の置く角度をズラしたりして対処します。こういったことがあるため、熟睡は不可能です。夜間の発作が止まったとしても、このために熟睡の出来ない状態が続きます。
 第二に、日常動作において、左腕を失った状態に等しいという点です。左腕を全く使えないという訳ではないのですが、ほとんど使えないと言っていいでしょう・言わば、左腕を人質にとられてしまった状態とでも言えましょうか。力を入れたり振り回したりすると針が外れたり、血管が破れたりするのではないかという恐怖があり、極力使わないようにします。この不便さは、ほとんど片方の腕を切断して、利き腕でない方の片腕だけで生活している人のそれでしょう。
 その上、点滴に片腕をとられている場合、移動時には、キャスターの付いた点滴スタンドをガラガラ引きずっていどうしなければなりません。(トイレの時、洗面の時など)これもわずらわしいものです。こういう生活を6日間続けたものですが、ある意味で、片腕を失った人の不自由さというものを多少とも経験したか、とも思っています。
 新病舎になってから入病したのは初めてですが、新病舎は、旧病舎に比べて、一般病院の病室に少しは近づいたかなという印象があります。旧病舎になかった暖房設備(スチーム)が、新病舎では各室に備え付けてあります。旧病舎の窓は、一重で建て付けの悪い、風スースーのものでしたが、新病舎のそれは、不二サッシの二重窓です。旧病舎は、床はコンクリートの打ち放しそのままでしたが、新病舎のそれは約30cm四方のベージュ色のタイル(というのでしょうか)張りです。旧病舎のトイレにはつい立てがなく、和式の水洗でしたが、新病舎のそれはつい立てがあり、洋式(座り)の水洗です。又、新病舎の各室には、報知器以外に、ベットの脇の壁に、「気分の悪くなった方は、このボタンを押してください」と表示された通報ボタンが新設されています。
 入浴が許可になったのは、3月18日(水)からです。旧病舎では入浴したことがないので比較できませんが、おそらく新病舎の入浴場も新式になっていると思います。スチーム式ではなく、蛇口から温水が出てくる方式のものです。
 3月24日(火)の3回目の入浴の時の椿事。我ながら不覚で、のぼせ→貧血→一時的意識喪失でダウンしてしまいました。湯船の中に長くつかり過ぎたのでしょう。出浴して衣類を着ている時です。下着・中着は終わり、最後に白衣を着る段階に至った時、めまいが始まった感じで、少し息をついた所で、意識がなくなり、再び意識が戻ったのは、その場に横になり血圧を測られていた時です。考えてみると、その間、約30秒から1分間ぐらいのものでしょう。後から聞いたところによると、倒れそうになった時、隣にいた同囚に背中を支えられたため、直接、床に頭をぶつけずに済んだということです。そのことは全く記憶にありません。それから(意識が戻ってから)、そこに5分間くらい横になっていて、車イスに乗せられ、自分の病室に運ばれました。これが起こった時間帯は、午前10時半から11時頃です。おそらく体力が低下していたところで、長湯し過ぎたことが原因なんでしょう。(車イスに乗ったのも初めての体験)
 意識の一時的喪失というと、東拘にいた時、立ちくらみで倒れたというのが一回ありましたね。入獄前には、空手の練習をしていして脳震とうを起こしたというのが一回ありました。
 3月25日は(木)は、入病してから初めての運動。春の陽射しの暖かさを感じました。ただ、動き回ると、薬づけの胃のムカつきを意識します。無理せず無理せずの、身体慣らしです。
 今回の教訓―体調がいい時ほど自信過剰にならず気を付けろ、ということです。そして、何よりも、「危うきに近づかず」というスタンスを徹底して生活せよ、ということです。ここにあって、生き延びるためにはそれ以外にありません。
 3月19日付けは、3月24日に受けとっています。
 こちら、ウグイスの初聴は3月21日でした。一日じゅう床に伏せって何もしないでいるのも、つらいものですが、ここは、時の流れに身をまかせる以外ないでしょう。(一日も早く出役したいとジリジリしているのですが)
              じだい
 乱春に床に伏せつつ夢に問う世紀の行く先明か暗かと
                       1988年弥生25日 病舎にて 識
                                  芳正拝


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