前略、お袋殿。

 3/26(木)快晴。食事は朝・昼・夕とも全部たいらげる。ちなみに昼はカレー。運動日。9時15分頃、出室して病舎の前の運動場へ。軽い準備体操を自分でやってから、約12m四方の小グラウンドを歩く。腕立て伏せもやってみるが、極端に筋力が落ちているという訳でもない。なによりも、春の日射しを直接肌に浴びることが快く、気持ちいい。入病して今日で21日目だ。一日じゅう寝ていると心臓の力がセーブされるものかと、フッと考えた。立ったり坐ったりして生活していると血液は重力に抗して上下に流れる訳だから、この重力分だけ心臓の力が発揮されていることになる。一日じゅう横臥していると血流は横の流れだけで重力に抗する力が不要になる。その分、心臓は力をセーブすることになる。そういった状態に心臓が慣れてしまっているところで、急に立ち動作をしたり入浴したりすると、心臓がその状態に即対応できず血流障害をきたすということもあるのではないか。
 3/27(金)曇天。食事は朝・昼(おでん)は全部食べたが、夕(春巻)はメシ半分残す。入浴日。10時10分頃から。前回の反省から、湯舟につかるのは30秒(前回は約5分)。大事なく出浴。食欲が多少落ちるというのは、運動に出れないためか。3月分の私本下附5冊が入る。
 3/28(土)。晴。朝は全部食べ、昼は食パン3枚のうち1枚残し、夕はメシ半分残す。ちなみに夕はキムチ汁。気分的にはイマイチ、シャキッとしない。緊張感がないためか。大量服用している薬のためか。一日じゅうベットに縛り付けられているというのも、一つのストレスなのだろう。
 3/29(日)。晴。朝・昼は全部食べるが、夕はメシ2/3残す。ちなみに夕は肉ジャガ。朝メシは8時頃、昼メシは12時頃、夕メシは4時頃という時間間隔なので、夕メシタイムから翌日の朝メシタイムまでの間隔が長く、それに比べ昼メシタイムから夕メシタイムまでの間隔が短い、というのが病舎の流れなので、食欲が出ないと夕メシを残すということが多くなる。
 3/30(月)。晴。朝・昼(八宝菜、生卵、トロロイモ)は全部食べるが、夕(納豆、魚)はメシ半分残す。入浴日。湯舟につかるのは40秒とし、大事なく出浴。3時半頃、診察で明日、休養解除(退病)となる。明日から工場出役と決まっただけで、なんだか気分がシャキッとした感じ。気分は状況に対応するものだ。結局、25日間入病していたということになるか。

 ということで、3/31 9AM頃、退病となり、工場に出役しました。これから、様子を見ながら、薬を減らしていくということになります。内服薬を飲んでいる限り、胃のむかつきが続き、気分的にはいまいちという状態が続くでしょう。
 今回の重積発作で感じたのは、人間とはいかに弱い存在=受苦的存在であるか、そして、そういった、大宇宙の中で儚い存在でありながら、紙一重で生かされていることの不思議な強さ――これです。そして、改めて、このままでは生きて出獄するのもままならないぞと、自分自身に危機意識を注入しています。今回の入病体験を、一つの財産にすること、そして、体質改善と防戦により一層工夫し、力を入れることです。これが私の第一のテーマです。

 4/2付、4/7に落手しました。
 3月末から4月頭にかけては、こちらも気候的に激しく変化しました。3/30には最高気温が22℃まで上がったと思ったら、3/31には12℃、4/1には9℃、4/2には3℃で積雪17cmの大雪です。ドーンと上がって、ドーンと下がったわけで、喘息の薬を大量に服用中だったからいいものの、以前だったら、この時点でも、おそらく発作が出たことでしょう。ここのところはどうにか乗り切れ、退病後1週間目の診察で、1日6錠服用していたテオドールを4錠に減らすところまできています。気分的にも、やっと余裕が出て来たと言っていいでしょう。
           1998年卯月7日 識
                                    芳正拝


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