再審請求書

〒一二四 東京都葛飾区小菅一―三五―一A
        請求人    大道寺 将 司
〒一二四 右同所
        請求人    益 永 利 明

        右両名弁護人
         別紙弁護人目録記載の通り

昭和六三年九月一日

東京地方裁判所御中

 右請求人両名は、昭和五四年一一月一二日、東京地方裁判所刑事
五部において、それぞれ死刑を宣告され、昭和六二年四月二〇日右
判決はいずれも確定したが、右請求人両名につき、弁護人らは次の
とおり再審を請求する。

第一、請求の趣旨
 右請求人両名につき、それぞれ再審を開始する。
との決定を求める。
 右請求人両名につき、それぞれ第一審判決を破棄する。
との判決を求める。

第二、請求の理由(その一)―いわゆる三菱重工事件における殺意
の不存在について―
 一、殺意の認定―第一審判決の構造―

  1、罪となるべき事実
    第一審判決は、いわゆる三菱重工事件について次のように
   「罪となるべき事実」を認定している。
    「被告人大道寺、片岡(現姓益永、以下同じ―引用者)は
   ……今後は日本の新旧帝国主義者の一つで経済的侵略を行っ
   ている海外進出企業を爆弾攻撃の対象にすることとし、侵略
   性が歴史的にみても現在においても明白で、かつ爆弾攻撃に
   よる政治的・社会的効果の大きい企業として三菱グループを
   選び、諸調査・協議を続けた結果、三菱重工株式会社は日本
   帝国主義の戦前・戦時中における海外侵略、戦後における新
   植民地主義侵略の中枢であるとして、同社を爆破攻撃するこ
   ととし、同(東京)都千代田区丸の内所在の「三菱重工ビル
   ヂング」……の正面玄関前路上に爆弾を仕掛けて爆発させれ
   ば、三菱重工及びこれと道路を挟んで向かい合う三菱電気の
   両企業を同時に攻撃できて最適であるとの結論に達し」たと
   する。そして「治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的
   をもって、右三菱重工ビル正面玄関前路上に爆弾を仕掛けて
               6P

   爆発物を使用する共謀を遂げるとともに、……予告電話が通
   じないときはもちろんのこと、通じたとしても、五分間とい
   う短時間では、爆発地点付近の建物内及び道路上に現存する
   多数人を完全に退避させることは不可能に近いから、右爆弾
   の爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片
   及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆
   発地点付近に現存する多数人を死傷に至らせうることを十分
   認識しながら、それも構わないとの意志を相通じ……前記第
   四の犯行[いわゆる荒川鉄橋事件]で使用の予定であったペ
   ール缶爆弾二個(「塩素酸ナトリウム約九〇パーセント・ワ
   セリン約三パーセント・パラフィン約七パーセントの割合で
   混合したセジット爆薬を主薬とし、これに塩素酸ナトリウム
   約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割
   合で混合した白色火薬、塩素酸ナトリウム約六〇パーセント
   砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合
   した白色火薬及び塩素酸カリウム約五〇パーセント・砂糖及
               7P

   び黄血塩各二五パーセントの割合で混合した少量の白色火薬
   とを加えた爆薬を、二十数キログラムずつほぼ等量に、一個
   の容量約二〇リットル余の金属製ペール缶二個に詰め」たも
   の)にトラベルウオッチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆
   装置を接続させ、……前記玄関前フラワーポットの横に置い
   て装置し……これを爆発させ、もって爆発物を使用するとと
   もに、右爆発により、死亡の可能性のある……被爆場所に居
   合わせた……(者)を……爆死させるなどして殺害し、同様
   死亡の可能性のある……被爆場所に居合わせた……(者)に
   対しては……殺害するにまで至らず……」と認定している。
  2、殺意を認定した理由
    第一審判決は三菱重工事件について右の「罪となるべき事
   実」を認定して殺人(殺人未遂)罪を適用している。そして
   殺意を認定した理由を縷々述べている。
  (一) 判決は先ず、三菱重工事件の爆弾(以下「本件爆弾」とい
   う。)の構造を説明し、「塩素酸塩系の混合爆薬二十数キロ
               8P
   
   グラムのもの二発という多量の爆薬を用いた大型の爆弾であ
   ったこと、起爆力を高めるため起爆装置に雷管を用いたこと、
   爆発力を強めるため、数種の混合爆薬を用い、その充填の方
   法にも工夫をして塩素酸カリウム系の爆薬を雷管の周囲に充
   填したこと、弾体となる容器に機密性が高く丈夫なものを用
   いたこと」を本件爆弾の特徴としてあげている。
  (二) 次に、判決は本件爆弾の「客観的威力」と称して、被害者
   の死傷状況、物的被害状況を縷々述べて、「三菱重工事件に
   おける判示各被害者は……いずれも客観的に本件爆弾の爆発
   による爆風、弾体及び損壊された建物の破片等により、また
   右爆弾によって破壊されたビルのガラス破片の落下等によっ
   て死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる」と
   結論付けている。
  (三) 判決は請求人両名の爆弾の威力の認識について次のような
   事項を摘示している。
    「昭和四六年初めごろから爆弾製造を試み数回にわたる爆
               9P

   弾の爆発実験を行なっていて、その改良に努力したことが窺
   えること」
    「(三菱重工事件以前の)四件の爆破事件を実行して爆弾
   の威力を知っていること」
    「『腹腹時計』を執筆して手製爆弾について相当高度の知
   識を有していたこと」(その具体的内容として、『腹腹時計』
   に「砂糖で代用した火薬は五キログラム単位ぐらいで使わな
   いと威力は望めない。塩素酸カリウムを主剤にした火薬・爆
   薬を混合し併用するならば、より良い結果を引き出し得る。
   なお、対人殺傷用で確実にその人間に接近して爆発させられ
   る場合は、この十分の一程度でよい。」という記載を挙げて
   いる。)
    「被告人大道寺の居室から押収された『火薬と発破』及び
   バインダーに編綴されているセジット爆薬に関するメモの記
   載内容」(具体的には、前者には、セジット爆薬が摩擦・衝
   撃に対し鋭敏であることやその爆速などが、後者には、その
               10P
   
   製造中は比較的危険性が少いが、爆力はかなり強い旨が、記
   載されている。)
    「もともと天皇特別列車を荒川鉄橋で爆破して天皇を暗殺
   する目的で製造された爆薬量各二十数キログラムという大型
   爆弾であり、その数も二個であること」
    「セジット爆薬のみを用いたものではなく、数種の混合爆
   薬を用いたこと」
    「起爆装置もガスヒーターをやめて手製雷管を用いたこと」
    「爆薬量を各二十数キログラムのもの二個というように多
   量にしたこと」
    「頑丈で気密性の高い容器を弾体に用いることにより爆発
   力を高める工夫をしたこと」(『腹腹時計』には容器(弾体)
   の強力化により爆弾の威力を高めうる旨記載がある。)
    そして請求人両名及び共犯者とされる者の捜査段階におけ
   る供述調書を爆弾の構造及び威力の認識―それは殺意の認定
   に直結している―を裏付けるものとして縷々引用している。
               11P
   
   即ち、
    請求人大道寺の供述調書として、請求人は浴田由紀子に対
   し、電気雷管で爆弾の威力が大きくなると話したことがある
   こと(六月一二日付(一三枚綴りのもの、乙一15―判決は六
   月一一日付として引用しているが誤りである。)、セジット
   の威力が余り大きくないので雷管を用いて爆薬の威力を増す
   こととし、攻撃対象に大きな損害を与えるために相当多量の
   爆薬を用いる必要があったこと(六月一四日付)、セジット
   の爆発力があまりはっきりしなかったので大型の爆弾二個を
   設置することになったこと(六月二五日付)を引用している。
    請求人益永の供述調書として、爆弾の一つが爆発すれば他
   のものが誘爆するように、二個を近くに仕かけることにした
   こと(五月二二日付)、爆弾の威力発揮のためには相当大型
   の爆弾でなければならないと認めていたこと(五月二五日付)
   、電気雷管の起爆力が大きくなると爆弾の爆発力が強力にな
   ると認めていたこと(五月二六日付)、三菱重工・三菱電機
               12P
   
   の双方に危害を与えるためには、かなり大きな破壊力のある
   爆弾でないと駄目であるとして二個のペール缶を使用したと
   認めていること(六月一日付)を引用している。
    大道寺あや子の供述調書として、三菱商事に仕掛けると爆
   弾の大きさ・威力からいっても三菱とは関係のない所にまで
   被害を及ぼすことになるので適当でないということになって
   本件の設置場所に仕掛けることになったのであるから爆弾の
   威力についてはかなり大きいものであると認識していたこと
   (六月一七日付)、帝人事件に使用した消火器爆弾について、
   容器がかなり頑丈なもので、気密性が高いので、塩素酸カリ
   ウム系の爆薬を使わなくとも相当の威力がある(容器によっ
   て威力を高めうる)と認めていたこと(六月二三日付)を引
   用している。
    請求人両名及び大道寺あや子は、四種類の混合爆薬を用い
   塩素酸カリウムを用いた爆薬を雷管の周りに充填するように
   して爆発威力を数段上げようとした(請求人大道寺につき六
               13P
   
   月二四日付、請求人益永につき六月一日付、大道寺あや子に
   つき六月一五日付)。
    浴田由紀子の供述調書として、請求人大道寺は爆弾の威力
   ないしは結果の大きさを予知していたかの如き発言をしてい
   たこと(六月一六日付)を引用している。
    そして判決は、「被告人両名らが本件爆弾の爆発力の強大
   でありうることを十分認識していたことは明らかであり、ま
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   た……本件のような大型の爆弾の爆発の威力について多数回
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   の実験等によりその威力を確実に一定限度内にとどめる配慮
   ・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・措置をとったことが窺えない以上、その爆弾の威力が正確
   には判らない面があるとしても、その爆弾の威力に応じた結
   果の発生することを当然認容していた(傍点―引用者)と結
   論付けている。
    更に判決は請求人益永の公判廷における最終陳述の内容と
   請求人両名らが三菱重工事件の後も、「さらに他人を殺傷す
   る恐れのある爆弾闘争を依然繰返し、重傷者を出している」
               14P

   ことも殺意認定の根拠に加えている。
  (四) 判決は本件爆弾の使用目的、使用状況等からしても、請求
   人両名が「本件爆弾の爆発によって爆心地及びその周辺の路
   上及びビル内に現存する不特定多数人を殺傷するに至ること
   を十分認識していたことは明かである」とする。
    即ち、請求人両名らは海外進出企業を爆破攻撃すべく対象
   として三菱グループを選定し、三菱重工ビル正面玄関前の歩
   道上に爆弾を仕掛けて三菱重工ビルと三菱電機ビルとをとも
   に爆破することを目的とし、請求人両名は予め現場の下見を
   重ね、現場及びその周辺の状況を熟知していたのであるから、
   平日の白昼、人通りの多い都心丸の内ビル街路上での爆発の
   結果を十分認識していたものである。更に請求人両名は『腹
   腹時計』において、日雇労働者以外の労働者、一般市民も植
   民地人民と敵対関係にある侵略者であると考え、請求人大道
   寺も公判廷において、事件当時、死傷者らを少なくとも味方
   とは思っていなかったことを窺わせる供述をしているのであ
               15P
                            ・・
   るから、巻き添えとなる死傷者がでることを爆弾闘争の宿命
   (傍点―引用者)として覚悟していたものであるとする。
  (五) 判決はビルの窓ガラス破片の落下について、請求人両名は、
   周辺のビルの窓ガラスが相当広範囲に爆風圧等により破壊さ
   れることを予測し、高層ビルの窓ガラスはかなり厚い大型の
   ものであるから破壊されたガラス片の一部がそのまま地上に
   落下することは容易に認識できるとする。
  (六) 判決は予告電話、警告表示につき、殺意を否定する根拠と
   はなりえないと論難する。即ち、予告電話で退避を警告する
   ことが殺傷の結果を予測していた証左であり、本件の予告電
   話をかけた時刻と爆発時刻までは短時間であって不発処理さ
   れることを意図したものではなく、予告電話の内容も重要事
   項を明らかにしたものではなく、また予告電話が通じなかっ
   た際の措置も取られていなかったのであるから、結果を回避
   できると考えていたものではない。危険物である旨の警告表
   示も、直接外部から認識できるものではないから結果回避の
               16P
   
   ためになされたものとはいえないとする。
    なお、控訴審判決の内容は、第一審と全く同じであるし、
   上告審は弁護人らの事実誤認の上告趣意に対し、適法な上告
   理由にあたらないとして、一片の判断もしていない。
   
 二、殺意認定の誤り
  1、「殺意」をめぐる争点整理
  (一)、弁護人らの争点摘示
    弁護人らは第一審において殺意がなかったことの理由とし
   て、請求人両名らは本件爆弾の威力を認識していなかったこ
   と、ビルのガラスが道路側に落下することを予測していなか
   ったこと、結果を回避するため予告電話をかけ、警告表示を
   したことを主張し、その理由を弁論要旨において詳細に展開
   している。
    ところで、爆破事件においてはその爆弾がいかなるもので
   あるのか、その種類・構造が最も重要である。三菱重工事件
               17P
   
   においては「セジット」と呼ばれる爆薬が使用された。しか
   し従来一般には知られていなかったので、その「セジット」
   がいかなるものであるのか、セジットと請求人両名らの関わ
   りが最大の問題となるはずであった。
   (1) 先ず請求人両名らがセジットを知るに至った経過を次の
    ように述べている。
     「塩素酸カリウムを用いた火薬は威力は強いことは経験
    的にも知ることができたが、販売規制が強くなり、その入
    手は困難であった。また硫黄の販売規制も強くなり、右二
    つの薬品を用いない火薬の開発が必要となった。また比較
    的入手が容易な塩素酸ナトリウムを用いた火薬は既に実験
    済であったが、北方文化研究施設事件の結果の新聞報道か
    らして砂糖と硫黄を混入させた火薬は著しく威力が低く、
    黒色火薬にも及ばないとの認識であった。塩素酸ナトリウ
    ムに黄血塩と砂糖を混入させた火薬に付いては、もう少し
    威力があるだろうと想像していたが、黄血塩は高価なうえ、
               18P
    
    大量の入手は規制の点からも難しかった。そうした状況下
    で、(請求人両名ら)は、容易に入手できる材料でしかも
    黒色火薬位の威力はある火薬は作れないものかと文献等を
    調査した。」
     従ってセジット認知の動機はこれまでの記念碑爆破事件
    の「結果」(爆発による記念碑損壊)にあきたらず、より
    強力な威力をもつ爆薬の発見・開発を目的としていたので
    はなかったのである。塩素酸カリウム、硫黄、あるいは黄
    血塩の入手が困難(販売規制と請求人両名らの経済的理由)
    となったので、「容易に入手できる材料」で「一応爆薬」
    といえるものを探索したのである。
   (2) 請求人両名らがセジットの開発に失敗した経緯を次のよ
    うに説明している。
     「(請求人両名ら)は昭和四九年二月から五月までの間
    に二度、セジットにガスヒーターを点火装置とした爆薬の
    実験を行った。それはワセリンとパラフィンを加熱し、摂
               19P
    
    氏五五〜六〇度で塩素酸ナトリウムを加えて製作した。そ
    してセジットは装填密度を高くしたほうがいいとの判断の
    もとに、まだ暖かい粘土状のものを缶体に強く押しこんで
    詰めた。したがってセジットはろうそく状に固まった状態
    であった。しかし二度ともガスヒーターによる点火装置で
    は点火装置がはじけるだけで、セジットは全く燃焼さえし
    なかった。缶体としてはプラスチックを用いたこともあっ
    たが、他はコーラ缶、ピース缶等の金属缶であったため、
    不燃の原因は点火装置が弱いためと判断した。そしてセジ
    ットはダイナマイトと同様雷管のような強力な起爆装置で
    なければ爆発しない爆薬と判断した。そのため被告人らは
    昭和四九年六月頃、雷汞を製造し、手製雷管を開発した。
    手製雷管は六月〜七月にかけて実験したが成功であった。
    しかし、セジットは手製雷管によっても爆発せず、単に雷
    管が破裂するだけであった。缶体は、雷管の威力によって
    破れたが、セジットは雷管の周辺がもえただけでそのまま
               20P
    
    残っていた。セジットの装填は前の実験と同様、温いうち
    に詰め込む方法によって行われた。……(請求人両名ら)
    はセジットがなぜ爆発しないか原因については究明できず
    に終った。」
     請求人両名らのセジット開発についての時間的経過は、
    請求人両名らの検面調書のみに基いて主張されているため、
    事実とくい違っている(その事実経過は後に詳述する。そ
    の経過は殺意認定にとって重大な影響を及ぼすものである。
    )が、セジットが開発できなかったことは事実である。請
    求人両名らがそれまでに体験したことのある火薬・爆薬、
    体験事実がなくとも一般に容易に製造方法、使用方法が知
    られている火薬・爆薬であればそれほど問題はない。しか
    し一般には知られていないセジット(『火薬技術者必携
    (第三版)』(昭和五二年押第三一号の80と同じもの)四
    〇頁には「わが国ではこの種の爆薬は、その製造を許され
    ていない。」、『火薬と発破』(昭和五二年押第三一号の
               21P
    
    82)六八頁には「ニトログリセリンと同等の摩擦感度があ
    るために、塩素酸塩系爆薬はわが国では製造を禁じている。」
    と記載されている。)を実験段階において開発できなかっ
    たことは殺意認定にとって決定的に重要である。爆弾事件
    における殺意認定においては爆弾の威力認識を除いては判
    断できないからである。請求人両名らはセジットの爆発と
    その結果を一度も、認識し体験したことがなかったのであ
    る。
   (3) 請求人両名らはセジットの開発が失敗したにもかかわら
    ず、虹作戦(荒川鉄橋事件)決行のために、本件爆弾を製
    造することになった。その製造工程について次のように述
    べている。
     「本件爆弾の製造に当たってはセジットは実験段階とは
    異なりセジットが冷えてボロボロの状態になった段階でペ
    ール缶に詰められた。これはペール缶の口金部分の口径が
    小さかったため、セジットを温いまま詰めて押しこむこと
               22P
    
    ができず、ボロボロの状態のものをろうと状にまいて口金
    に差込んだ紙筒の上からサラサラ詰め込む方法になった」
    のである。
     請求人両名らがセジット開発に失敗し、その失敗の原因
    が究明できないまま、本件爆弾を製造した理由は「セジッ
    トは硫黄や黄血塩を用いないで済むことからそれだけ他の
    塩素酸ナトリウム系火薬よりは材料が節約できる」からで
    あった。
   (4) 請求人両名らは本件爆弾を三菱重工事件に使用し、昭和
    四九年八月三〇日はじめて本件爆弾の爆発を体験したので
    あるから、事前にその爆発の結果を予想することはできな
    かった。
     「セジットは実験する以前には、塩素酸カリウムや硫黄
    を用いずにオージャンドルや黒色火薬に塩素酸カリウムを
    混入させた火薬と比較しても、極端には見劣りしない威力
    を発揮しうる火薬としてセジットを発見、製作したのであ
               23P
    
    ったが、その実験結果は惨たんたるものであったため、そ
    の認識は根本から変更しなければならなかった。数回に渡
    るセジットの実験失敗の結果……セジットの威力を塩素酸
    カリウム系の白色火薬のように爆轟する火薬として評価す
    ることは不可能であった。北方文化研究施設事件で用いた
    塩素酸ナトリウム系火薬は、爆轟するまで至らず、さらに
    爆燃というよりは燃焼といった方がふさわしい状態であっ
    たことは事件の新聞報道等から知っていたが、セジットも
    この程度の威力しか望めないと判断した。」更に請求人両
    名らは爆発による爆風圧の物理的性質の知識は持っていな
    かったのであるから、ビル街での歩道へのガラスの落下は
    予測できなかったのである。
   (5) 本件爆弾が昭和四九年八月三〇日、爆発した原因につい
    ては次のように推量している。
     「セジットが爆発によって強大な威力を発揮したのは、
    たまたま詰め方が適切だったからである。……セジットの
               24P
    
    装填比重が適切なものとなり、その威力を最大に引出すこ
    ととなってしまった。」開発・実験段階における失敗の原
    因についても「(請求人両名ら)は密度が高い程爆発しや
    すく、威力も強いはずだと考えたこと(適性装填比重の観
    念がなかった)、その上『火薬と発破』にはセジットの材
    料と混合比の記載はあったが、その製造方法については何
    ら記載がなかったため、温いまま缶体につめても十分爆発
    するはずだと考えた」ためである。
  (二)、裁判所の判断
    弁護人らは殺意の不存在を根拠付ける具体的事実を摘示し、
   殺意を認定することの違法・不当性を弾劾している。弁護人
   らが摘示した争点を要約すれば、セジットの威力を誤認する
   に至った経緯と理由である。
    しかし第一審判決は、弁護人らの争点に対し判断をしてい
   ない。判断を拒否し、あるいは回避している。その判決の内
   容は既に引用したとおりであるが、それを特徴的に挙げれば
               25P
   
   次のようになる。
   (1) 先ず、三菱重工事件における客観的・外形的事実を執拗
    に強調していることである。
     第一審判決は「本件爆弾の客観的威力」と称して三菱重
    工事件の死傷状況、物的被害状況を爆心地から周辺部へと
    順次説明し、「破壊力の強烈さ」は明白であるとする。
     しかし、弁護人らも発生した客観的事実(結果)は概ね
    認めているのであってその因果関係まで争っているわけで
    はない。発生した結果を前提にして、その結果に対する認
    識(事前予測)の存否を争点にしているのである。従って
    判決が、発生した結果から「破壊力の強烈さ」をいかに印
    象付けようとも発生した結果自体は請求人両名らの認識を
    推認させる間接事実にはなりえないことは明白である。
     更に判決は爆弾の「客観的威力」と称して死傷状況、物
    的被害状況を説明している。しかしこの用語法は誤解を与
    えるものでありむしろ誤っている。発生する結果は爆弾を
               26P
    
    設置した場所(あるいは爆発させた場所)の個別具体的な
    状況いかんによる。高層ビル街と通常人のいない山中では、
    その発生する結果はかなりの相違があろう。しかし同一の
    爆弾の爆発現象それ自体の質と量は同一のはずである(も
    っとも厳密な物理的・科学的現象からすれば、爆発時の場
    所の諸条件によって爆発現象それ自体も相違してくること
    も考えられる。)。その質と量を計測する客観的基準(た
    とえば「猛度」という概念)が「客観的威力」というもの
    である。判決の用語法は発生結果と爆弾の爆発現象それ自
    体とを故意に混同し、三菱重工事件において発生した全て
    の結果が本件爆弾の爆発現象それ自体であると判断してい
    る。たとえば判決は「……このように、多大の人的・物的
    被害が発生していて本件爆弾の威力は、極めて強大なもの
    であったことが認められる。」と判示している。しかし発
    生結果と爆弾の(客観的)威力とは本来別次元の問題であ
    る。前者は具体的な社会事象であるが、後者は純粋に物理
               27P

    的・化学的事象である。この二つの事象を故意にそして巧
    みに混同している点に判決の根本的誤りを指摘することが
    できる。
   (2) 判決は客観的事実と主観(認識・意図)を区別しないで
    恣意的な認定をしている。
     第一審判決は「三菱重工事件爆破に用いた爆弾の構造」
    として本件爆弾の物理的・化学的な組成構造を説明してい
    るが、更に本件爆弾が「多量の爆薬を用いた大型の爆弾」
    であること、「起爆力を高めるため」に雷管を用いたこと、
    「爆発力を高めるため」に混合爆薬を使用し、塩素酸カリ
    ウム系爆薬を雷管の周囲に充填したこと、容器に気密性が
    高いものを使用していることを特徴的に列挙している。
     しかし判決が列挙している事項はいずれも恣意的な認定
    の結果であって、請求人両名らの認識・意図を曲解し不当
    に客観的事実と混同させたものにすぎない。この判決をみ
    るといかに裁判所が弁護人らが摘示した争点を無視してい
               28P
    
    るかが明白である。
     請求人両名らはセジットを文献上発見し実用的開発を進
    めたが遂に成功することはなかった。その失敗の原因もわ
    からなかまま本件爆弾の製造に着手しているのであり、セ
    ジットの客観的威力を体験し認識することはなかったので
    ある。先ずガスヒーターを点火装置とするセジット実験は
    点火装置がはじけるだけでセジットは全く燃えなかった。
    次に雷管を点火装置とするセジット実験をしたが、雷管が
    破裂するだけでセジットはわずかに雷管の周辺が燃えたの
    みであった。従って請求人両名らはセジットを爆発させる
    方法(物理的・化学的要因)を知らなかったのであるから、
    どの程度のセジット爆薬量であればどの程度の客観的威力
    が生ずるのかは、当然、知識、認識の範囲を越えていたの
    である。判決は三菱重工事件で発生した結果から演繹して
    「大型の爆弾」であったはずであると評価しているにすぎ
    ず、因より請求人両名らの認識(事前予測)とは別次元の
               29P
    
    議論である。
     更に判決は「起爆力を高めるため」「爆発力を高めるた
    め」に請求人両名らが本件爆弾の製造において一定の工夫
    を加えていると断定している。しかしセジット実験は雷管
    を使用した時でさえ爆発しなかった(せいぜい一部が燃焼
    したにすぎない。)のであるから、起爆力、あるいは爆発
      ・・・
    力を高めるという意図はそもそも前提を欠いた議論である。
            ・・・
    起爆力、爆発力を高める工夫とはセジット実験が一応成功
    していてはじめて次の段階に進める場合に課題となる事項
    である。判決は請求人両名らの検面調書の片言隻語を奇貨
    として請求人両名らが本件爆弾の性質を知っていて起爆力、
    爆発力を高める工夫をしたと認定したにすぎない。仮に請
    求人両名らが起爆力、爆発力を高める工夫をしたとするな
    らば、当然に本件爆弾が爆発する物理的・化学的要因を事
    前に知っていたことをうかがわせる事情(間接事実)がな
    ければならないが検面調書にはその記載が全く欠落してい
               30P
    
    る。本件爆弾の物理的・化学的構造については後に詳述す
    る。判決は特に塩素酸カリウム系爆薬を使用していること
    を殊更に挙げている。これは請求人両名らが『腹腹時計』
    において「塩素酸カリウムを主剤にした火薬、爆薬を混合
    し併用するならば、より良い結果を引き出し得る。」(二
    八〜九頁)と塩素酸カリウムの威力を記述していることを
    前提にしていると思われる。しかしこの記述は化学的知識
    として誤っている(この点も請求人両名の化学的知識の程
    度の問題として後に詳述する。)。
     また本件爆弾のペール缶を使用することになった理由も
    偶然的要素が強いものであり(その経緯も後に詳述する。)
    、気密性を高くするために請求人両名らがペール缶を入手
    したわけではなかったのである。
     判決は請求人両名らが本件爆弾が爆発することを予知し
    ていたことを前提にして爆弾の構造を説明しているが、そ
    の前提が恣意的認定にすぎず合理的根拠を欠いている。
               31P
    
   (3) 判決は具体的な分析を回避し極めて粗野な一般論に終始
    している。
     判決は本件爆弾の「構造」「客観的威力」を前提として、
    請求人両名らが本件爆弾の威力を認識していたとする根拠
    を鏤々説明している。しかし判決が摘示している事項がど
    のような意味で本件爆弾の威力認識、延いては殺意認定に
    結びついているのか、その論理構造が極めて不明確である。
    弁護人らは請求人両名らとセジット爆薬との関わりを詳細
    に述べ、殺意の不存在を根拠付ける事実(殺意に対する反
    対事実)を摘示していた。しかし判決が判示する事項は弁
    護人らの争点を単に否定しているのか、弁護人らの争点を
    前提にして再反対事実を認定しているのか全く明らかでは
    ない。只、雑然と事項を列挙すればそれで殺意が認定され
    るわけではないのである。
   @ 判決は請求人両名らが昭和四六年から爆弾製造を試み数
    回にわたる爆弾実験を行ってその改良に努力したことを先
               32P
    
    ず挙げている。
     しかしこの摘示は極めて不正確であり、また不当である。
    昭和四六年一二月の興亜観音等事件に至る実験経緯を指し
    ているのか、昭和四九年八月三〇日の三菱重工事件に至る
    経緯を指しているのか明らかではない。後者とすれば当然
    にセジット以外の爆薬実験も含んでいることになる。請求
    人大道寺の供述調書によれば、昭和四六年一月頃釧路の海
    岸での味の素、食塩のビンを弾体とする黒色火薬(硝石、
    炭粉、硫黄)の爆発実験(六月一日付)、昭和四八年一〇
    月末から一二月中旬頃にかけて奥多摩での鉄パイプ、コー
    ラ缶を弾体とする黒色火薬(塩素酸ナトリウム、硫黄、活
    性炭もしくは砂糖)の爆発実験(五月二六日付)である。
    しかしセジット爆薬の実験は昭和四九年三月一七日が第一
    回目である。更に雷管を点火装置とするセジット実験は同
    年六月三〇日である(セジット実験の事実経過は後に詳述
    する。)。そうすると、セジット以外の爆薬の実験がセジ
               33P
    
    ット爆薬の実験にどのように結びついたのかを問題にしな
    ければならないはずであるが判決自身なんら説明するとこ
    ろがない。セジットの爆発体験がなかったのであるからセ
    ジット以外の黒色火薬等の爆発実験の体験と認識がセジッ
    ト爆薬の威力認識にどのように関わるのかという事実認定
    の構造が問題なのである。しかし判決は弁護人らのセジッ
    ト実験・開発の失敗という争点を回避するために、三菱重
    工事件以前の全ての爆発実験の体験を殺意認定の間接事実
    としているにすぎない。この種の認定方法は「凡そ爆弾は」
    という超一般論への逃避であって具体的事実の分析とは全
    く異質の手法である。判決は更に請求人両名らが興亜観音
    等事件(昭和四六年一二月)、総持寺納骨堂事件(昭和四
    七年四月)、北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像事
    件(昭和四七年一〇月)を実行して爆弾の威力を知ってい
    たと認定する。
     しかしこの認定も一般論であって三菱重工事件の殺意認
               34P
    
    定にどのような位置付けにあるのかその論理構造はなんら
    示すところがない。確かに請求人両名らは右の四件の記念
    碑事件に関わったのであるから各事件の爆弾の威力は事後
    的に新聞報道等によって知ることができたであろう。しか
    しこれらの爆弾は凡そセジット爆薬ではない。爆弾の威力
    はその爆弾の物理的・化学的構造に規定されている。そう
    すると右四事件の各爆弾と本件爆弾が物理化学的構造にお
    いてどのように共通しどの点において差異が存するのかが
    問題となるはずである。しかし判決はこの点についてなん
    ら説明するところがない。三菱重工事件以前に四件の爆発
    事件を実行していることが直ちに本件爆弾の威力認識、そ
    して殺意の存在に結びつくわけではないのである。判決の
    事実摘示はなんら意味のない、一般論の羅列にすぎないの
    である。むしろ弁護人らは右四事件のうち北方文化研究施
    設事件の体験・認識を前提として「北方文化研究施設事件
    で用いた塩素酸ナトリウム系火薬は爆轟まで至らず、さら
               35P
    
    に爆燃というよりは燃焼といった方がふさわしい状態であ
    ったことは事件の新聞報道等から知っていたが、セジット
    もこの程度しか望めないと判断した。」と争点摘示したの
    であるから、判決が四件の記念碑事件を摘示することは本
    件爆弾の威力認識の不存在と殺意の不存在を是認している
    結果とさえなっているのである。
   A 判決は請求人両名が爆弾について「相当高度の知識」を
    持っていたとして殊更に強調している。
     しかし知識が直ちに威力認識、殺意に結びつくわけでは
    ない。知識が本件爆弾の製造、あるいは設置においてどの
    ように具体的に応用されたかが問題のはずである。しかし
    判決はこの点についてなんら説示するところがない。判決
    が請求人両名の爆弾知識を摘示するのは具体的な製造とか
    かわりのない一般論としてのみである。
     判決が摘示する「知識」とはまず、『腹腹時計』の記載
    中の、木炭を砂糖で代用した火薬は五キログラム位使用し
               36P
    
    ないと威力がないこと、塩素酸カリウムを主剤にした爆薬
    ・火薬を混合すると威力があること、対人殺傷用で確実に
    その人間に接近して爆発させられる場合はこの十分の一程
    度でよいこと、である。
     ではこの「知識」は本件爆弾とどのような関連性を持っ
    ているでのあろうか。本件爆弾においても塩素酸カリウム、
    砂糖(木炭代用)の混合火薬が使用されていた。そうする
    と爆弾の威力認識、殺意の認定においては「この十分の一
    程度でよい」という記載が知識としては意味を持つことに
    なる。そうすると当然に、本件爆弾の量的構造、塩素酸カ
    リウム、砂糖の混合火薬の量が問題となるはずである。し
    かし判決は本件爆弾(ペール缶)の総量を極めてあいまい
    に認定するのみで塩素酸カリウム、砂糖の混合火薬の量を
    明らかにしていない。特定の量のみならず、最低の量さえ
    認定できていないのである。「知識」が本件爆弾にどのよ
    うに応用されているのかは従って明らかではない。
               37P
    
     ところで判決はこの『腹腹時計』の記載(知識)を化学
    的にみて真実であることを前提にしている。しかし木炭と
    砂糖の代用性、塩素酸ナトリウムと比較した塩素酸カリウ
    ムの威力について『腹腹時計』の記載は全く誤りである
    (後に詳述する。より強力な威力を意図するのであれば木
    炭を使用し、また塩素酸カリウムを主剤とするはずであっ
    て、本件爆弾のようにほとんど塩素酸ナトリウムを主剤と
    して更に相当量の砂糖を使用するはずはないのである。)。
     判決は更に『火薬と発破』、バインダーメモのセジット
    に関する記載内容を摘示している。
     確かに本件爆弾には「セジット」と称されている爆薬が
    使用されたのであるから判決の摘示は一応関連性をもつと
    もいえる。しかし判決の摘示する内容は極めて不正確であ
    り、また不当である。請求人大道寺の居室から押収された
    というのみで本件爆弾の威力認識に結びつける不当性は別
    としても、その記載内容は本件爆弾とは全く関係のないも
               38P
    
    のである。判決は本件爆弾がいわゆる「セジット爆弾」で
    あり、右の記載個所にも「セジット」という用語が散見さ
    れることから直ちに結びつくと判断したと思われる。しか
    しこの判断はセジットとは何か、という初歩的知識の欠如
    を露呈して余りあるものである。セジットには数種類のも
    のがあり「セジット」はその総称にすぎない。殊にニトロ
    化合物を含んでいるセジットとそれを含まないセジットで
    はその性能を異にしている。ニトロ化合物を含まないセジ
    ットのうち、塩素酸ナトリウムを主剤とするセジットは
    「セジットS」と呼ばれている。判決が摘示する『火薬と
    発破』の「塩素酸塩が分解し酸素を遊離する速度が急激な
    ために、この爆薬は威力は大きいが、摩擦、衝撃に対し鋭
    敏である」という性能はニトロ化合物を含むセジットのこ
    とである。ニトロ化合物を含むから摩擦、衝撃に対して鋭
    敏でとなるのである。また判決はセジットの爆速も記載さ
    れていると摘示するが、その記載内容は一見してニトロ化
               39P
    
    合物を含んでいる 02Modifie というセジットに関す
    るものである(『火薬と発破』六八頁の「組成」表によれ
    ばジニトロトルエン、ジニトロナフタリンを含んでいる。)
    。しかし本件爆弾にはニトロ化合物を含んでいないことは
    判決自ら認めている。本件爆弾に使用された「セジット」
    は塩素酸ナトリウム、ワセリン、パラフィンを組成とする
    ものであり、まさに「セジットS」である。ニトロ化合物
    を含んでいるかどうかは当然に、爆弾の性能、威力に決定
    的に関ってくる。
     更に、判決はバインダーメモの記載内容を雀躍として摘
    示しているがこれも誤りである。バインダーには「80℃
    前後に加温されたヒマシ油にニトロ化合物を加え、約55
    ℃に冷却してから、乾燥、粉砕したKClO3 を加えて混
    合し、成形して紙筒につめる。ニトロ化合物を含むヒマシ
    油を加えて作られるので、その製造中は比較的危険性は少
    いが、爆力はかなり強い」と記載されている(東京地裁昭
               40P
    
    和五二年押第三一号の40)。この記載内容は『火薬技術者
    必携』(東京地裁昭和五二年押第三一号の80)の該当個所
    (同書第3版では四一頁)をそのまま引用したものである
    が、一見してニトロ化合物を含んでいるセジットに関する
    ものである。その記載内容は先の『火薬と発破』と同旨で
    あり、セジットといえばニトロ化合物を含んでいる方が一
    般的であることをうかがわせるのである。右の『火薬技術
    者必携』にはニトロ化合物を含んでいないセジット(たと
    えば「セジットS」)の紹介は全くない。判決はバインダ
    ーメモから「その製造中は比較的危険性が少ないが、爆力
    はかなり強い」という部分のみを摘示し、ニトロ化合物を
    含んでいる旨の部分は捨象したのである。本件爆弾はニト
    ロ化合物を含んでいない「セジットS」であるから、ニト
    ロ化合物を含んでいることを前提とする説明は威力認識、
    殺意認定において決定的に不都合であったのである。ニト
    ロ化合物を含んでいるセジットの性能を「セジット」と一
               41P
    
    般に称せられている爆薬に不当にも類推しているのである。
    しかし爆弾の性能・威力はその爆弾の物理的・化学的な構
    造組成から分析的に認定されるべきものであって「セジッ
    ト」という用語・表現(これらは便宜的なものにすぎない。
    )から判断されるべきではない。「セジット」にはいくつ
    かの種類があることを先ず知るべきであった。
     以上のとおり判決は請求人両名らの、本件爆弾の威力認
    識を推認させるものとして『腹腹時計』、『火薬と発破』
    バインダーメモを摘示したが、いずれも不適切であり誤り
    である。殊に判決はニトロ化合物を含むセジットの存在を
    充分に知りながら、それを捨象して本件爆弾の「セジット
    S」に強引に策を弄してさえいる。このことは請求人両名
    らの、威力認識、殺意の不存在をむしろ推認させるもので
    ある。
   B 判決は「本件爆弾はもともと天皇特別列車を荒川鉄橋で
    爆破して天皇を暗殺する目的で製造された」ものであると
               42P
    
    して、本件爆弾の構造(爆薬の量、爆薬の種類、点火装置、
    容器等)について前記(二、1、二、2)と同旨の事項を
    再び挙げている。
     しかし天皇暗殺目的と本件爆弾の威力認識とは別次元の
    問題のはずである。前者は請求人両名らの思想の問題であ
    るが、後者は爆弾の物理的・化学的構造の認識の問題であ
    る。思想は物理的・化学的認識のいかんに拘らず、存在し
    うるが、逆に思想が存在するからといって、物理的・化学
    的認識が存在するわけではない。判決が摘示する事項はい
    ずれも本件爆弾が製造された後の客観的「結果」を説明し
    ているのであって、請求人両名らの本件爆弾製造に至る経
    緯には全く言及していない。請求人両名らはセジットSの
    実験開発の失敗原因がわからないまま本件爆弾を製造した。
    本件爆弾の爆発原因―物理的・化学的構造を認識したうえ
    で本件爆弾の製造が計画されたのではなかったのである。
    判決は「爆薬量各2十数キログラムという大型爆弾であり、
               43P
    
    その数も二個であること、本件爆弾の爆薬はセジット爆薬
    のみを用いたものではなく、数種の混合爆薬を用いたこと」
    を請求人両名らの威力認識を裏付ける事実(間接事実)と
    して挙げているが、セジットSの開発に失敗したのである
    からセジットの威力がいかなるものかは知らなかったので
    あり、ペール缶一個に爆薬量二十数キログラム(判決の認
    定は極めてあいまいである。この点も後に詳述する。)し
    かも数種の混合爆薬を使用したことが客観的(物理化学的)
    にどの程度の威力の可能性をもっているのか計測すること
    は困難であった。
     判決は「起爆装置もガスヒーターをやめて手製雷管を用
    いたこと」を挙げているが、手製雷管を起爆装置に使用し
    てもセジットSは爆発しなかったのであるから、本件爆弾
    の威力認識を裏付ける事実とはなりえない。そもそも本件
    爆弾においてガスヒーターから手製雷汞雷管に替えたこと
    が物理化学的にどのような意味をもっているのか判決は全
               44P
    
    く示していない。本件爆弾の物理的化学的構造の客観的分
    析を前提にして請求人両名らの主観にどのような認識があ
    ったのかが、威力認識、殺意の問題である。しかし判決の
    認定方法はその論理構造が欠落しており、思いつくまま事
    項を列挙しているにすぎない。判決は更に「頑丈で気密性
    の高い容器」を使用したことを摘示しているがこの点も同
    様である。本件爆弾においてペール缶の使用が爆発現象に
    影響があったのか、どの程度あったのか、の客観的分析が
    全くなされていない。そうするとペール缶の使用が威力認
    識の認定においてどのような意味をもっているのかが全く
    不明のままである。
     判決は請求人両名らの検面調書を引用している。判決は
    請求人両名らが本件爆弾の威力を認識していたことの根拠
    としているやに思われるが、その調書の内容は一般的なも
    のに終始し、本件爆弾の物理的化学的現象(爆発原因)を
    ふまえたものとはいえない。判決が請求人両名の威力認識
               45P
    
    を根拠付ける事実(間接事実)として摘示した事項に漫然
    と符合させているにすぎないものである。
    (ア) 請求人大道寺の六月一二日付調書(乙一15)を引用し
     ている。
     「私達が三菱重工に使用したセジット爆弾についてはそ
     れ以前にガスヒーターを起爆装置として実験しましたが
     ガスヒーターの場合には威力が弱かったのです。ところ
     が起爆装置に電気雷管を使ったところ三菱重工爆破の時
     のように信じられないような大きな威力を発揮しました。
     当時宮田との間にはこのような話が出て起爆装置として
     ガスヒーターを使用するより手製の雷管を使用したほう
     が格段に爆弾の威力が大きくなるという話になったので
     す。」(二丁目末行〜三丁目)しかしセジットSの開発
     において点火装置としてガスヒーターも手製雷汞雷管も
     使用したがいずれも失敗したのである。雷汞雷管の場合
     はその周辺が燃えたことがあったがガスヒーターの場合
               46P

     と格段の相違が見られたわけではなかった。本件爆弾の
     爆発とその威力は物理化学的に解明されなければならな
     いが、雷汞雷管の使用がその要因となったわけではない。
     判決は本件爆弾の物理的化学的解明をすることもなく検
     面調書の供述に拘泥しているにすぎない。請求人大道寺
     にすれば本件爆弾の威力の原因はわからなかったのであ
     り、『狼』グループが開発した雷汞雷管の威力を誇示す
     る余り、本件爆弾の爆発要因を誤認したのである。判決
     が本件爆弾の物理的化学的分析を放棄し、検面調書の信
     用性を鵜呑みにしているのはむしろ滑稽の観さえみられ
     る。
      請求人大道寺の六月一四日付調書についても同様であ
     る。判決は右調書について「セジットの威力が余り大き
     くないので、雷管を用いて威力を増すこととし」と要約
     しているが要約自体不当である。請求人大道寺は「片岡
     が起爆装置がガスヒーターでは爆発の時の爆燃速度が遅
               47P
     
     いので威力がないが雷管であればセジット爆薬でも威力
     がでるのではないかという意見を出し、これがきっかけ
     となって手製雷管の開発がはじまつたのです。」(八丁
     目〜九丁目)と供述している。これは雷汞雷管開発の契
     機を述べているにすぎない。実際、雷汞雷管の実験自体
     は成功したが、それでもセジットSは爆発しなかったの
     である。従って請求人大道寺の右調書を引用する趣旨が
     明らかではないし、また雷汞雷管の使用を本件爆弾の威
     力認識に結びつけることは客観的にも誤りである。
      判決は爆薬の量が多量となったことを威力の認識に結
     びつけ、請求人大道寺が「片岡がこの企業爆破について
     はセジット爆薬を使う話をしセジット爆薬は威力があま
     り大きいとは思われないので企業に大きなダメージを与
     えるには相当多量の爆薬を使わなければならないだろう
     という話をしており」(六月一四日付一五丁目)、また
     いわゆる虹作戦において「セジット爆薬についてはこれ
               48P
    
     までの実験もうまくいっておらずその爆発力があまりは
     っきりしませんでしたので大型の爆弾二個を設置するこ
     とにしたのです。」(六月二五日付一九丁目)と供述し
     ているのを要約引用している。しかしこの供述内容は、
     請求人両名がセジット爆薬の威力がわからなかったし、
     実験結果からして威力がないものと認識していたことを
     端的に物語っているものである。セジット(正確には
     「セジットS」)の威力の程度がわかっているのであれ
     ば、セジット爆薬の量も当然に計量することができたは
     ずである。威力の程度が体験的にわからなかったからこ
     そ、その量も極めて大雑把(“どんぶり勘定”)なもの
     となった。判決は請求人大道寺に「相当多量」あるいは
     「大型爆弾二個」という表現に威力認識の根拠を求めて
     いるが、これは取調べにおける事後的な評価にすぎず、
     本件爆弾製造―設置時の認識とは別次元のものである。
     威力の程度を認識していないのに「相当多量」「大型」
               49P
     
     というのは論理的にも矛盾するものである。
    (イ) 判決は請求人益永の五月二二日付調書を引用している。
     「二個の爆弾は同時刻に爆発するようにセットしました
     がまったく同時刻に作動することは確率として極めて抵
     (低)いので一つが爆発した際、残りの一つは誘爆した
     ものと考えております。二つの爆弾は一つが爆発した時
     他が誘爆される範囲に仕掛けたのです。」(四丁目)し
     かし請求人益永も請求人大道寺もセジットSの爆発の原
     因と方法を知らなかったのであるから、誘爆問題は論理
     的に矛盾している。誘爆する爆弾そのものの爆発原因と
     その認識が問題となっているのである。請求人益永の供
     述は、本件爆弾の爆発という事象を前提としたものであ
     って客観的結果として二個の本件爆弾が爆発した状況を
     事後的に説明したにすぎず、威力認識の根拠とはなりえ
     ないものである。
      また判決は電気雷管の起爆力と爆弾の爆発力の関係に
               50P
     
     ついて請求人益永の五月二六日付調書を引用している。
     「腹腹時計には発火装置の作り方が解説してありますが、
     私のやり方で作る雷管のほうが起爆力が大きく爆弾の爆
     発がより強力になるのです。」(五丁目)しかしガスヒ
     ーターを点火装置とするセジットS実験の失敗の後に、
     『狼』グループが独自に開発した雷汞雷管を点火装置と
     しても同様に失敗したのである。本件爆弾においては点
     火装置の種類は問題ではないのである。判決は本件爆弾
     の物理的科学的解明をしないまま供述調書を引用してい
     るにすぎない。
      判決は爆弾の量を威力認識と結びつけて請求人益永の
     調書を引用している。請求人益永は「当時私の考えで威
     力を発揮するのに必要な爆弾は相当大型でなければ駄目
     である」(5月二五日付、六丁目)、「三菱重工爆破に
     あたってペール缶二個を使って爆弾を作ったのは前にも
     説明したように重工と電機の双方に危害を与えるためで
               51P
     
     ありそのためにはかなり大きな破壊力を持った爆弾でな
     いと駄目である」(六月一日付、九丁目)と供述してい
     る。しかしこの供述内容は信用性に欠けるものである。
     即ち、この供述がいわゆる虹作戦をひた隠すために供述
     した不自然さは別としても、セジットSの爆発原因がわ
     からないまま本件爆弾を製造したのであるから、爆薬の
     量と威力の程度の関係は請求人両名らの認識を越えてい
     たのである。
    (ウ) 判決は大道寺あや子の調書も引用している。先ず、判
     決は三菱商事から三菱重工に設置場所を変更した理由と
     経緯に関する供述(六月一七日付)を威力認識の根拠と
     しているやに思われるが、供述の信用性はかなり疑問で
     ある。セジットSの威力の程度、更に本件爆弾(セジッ
     トの他に塩素酸ナトリウム、塩素酸カリウムを主剤とす
     る混合火薬も充填している。)の威力については基礎的
     な認識を欠いていたのである。三菱商事から三菱重工に
               52P
     
     変更した理由も、威力の問題では全くなく、単に三菱商
     事に仕掛けることが人目(受付や守衛などから)につき
     易いということにすぎない。「爆弾の大きさ、威力など
     からいっても三菱商事の建物の他に爆弾を仕掛けて爆発
     させると三菱以外の企業や三菱に関係のない一般の人に
     まで被害を及ぼすことになるので適当でない」という供
     述は本件爆弾の威力がわかっていることを前提にしたも
     のである。
      判決は大道寺あや子の六月二三日付調書を引用してい
     る。「消火器爆弾の方は容器がかなり丈夫にできており、
     気密性が高いので、塩素酸カリ系の爆薬を使わなくても
     相当の威力があることなどからであります。」(三丁目
     〜四丁目)しかしこの供述は先ず化学的に誤っている。
     大道寺あや子を含めて請求人両名らは塩素酸ナトリウム
     が塩素酸カリウムより威力が弱いことを前提にして帝人
     事件に使用されたいわゆる消火器爆弾を説明しているが、
               53P
     
     塩素酸ナトリウムが塩素酸カリウムより劣るとはいえな
     い(後に詳述するとおり。)。従って消火器を弾体とし
     た爆弾の威力(物理的・化学的性質)は爆薬の性能・種
     類に基本的に依存しているのであって、弾体の気密性の
     程度の問題ではないのである。しかもここで問題となっ
     ている消火器爆弾は三菱重工事件(昭和四九年八月三〇
     日)後の一一月に使用され、爆発の状況はマスコミを通
     して知ったにすぎないから、本件爆弾の威力認識の根拠
     とすることはできないはずである(仮に消火器という弾
     体を問題にするのであれば興亜観音等事件、総持寺事件
     を検討すべきである。)。右大道寺あや子の供述の趣旨
     は塩素酸カリウムではなく塩素酸ナトリウムを主剤とし
     なければならなかった理由(塩素酸カリウムの入手困難)
     を述べているのであって、消火器を弾体とした理由を述
     べているのではない。判決は本件爆弾のペール缶の気密
     性に威力認識の根拠を求めているから執拗に消火器に拘
               54P
     
     泥しているにすぎないのである。
    (エ) 判決は請求人両名及び大道寺あや子の調書を引用して、
     本件爆弾には四種類の混合爆薬を使用し、特に塩素酸カ
     リウムを主剤とする爆薬を雷管の周囲に充填して爆発威
     力を数段上げようとしたと摘示している。「塩素酸ナト
     リウム五〇%、黄血塩二五%、砂糖二五%、を混合した
     火薬を雷管の周辺に入れたという記憶があります。これ
     はセジットだけでは実験の結果からみて起爆力が弱いの
     ではないかという話になり今述べたような爆薬を雷管の
     周りに入れたのです。しかし塩素酸カリと砂糖と黄血塩
     を混合した爆薬を入れたという点については現在考えて
     みても私の記憶としては残っておりません。」(請求人
     大道寺、六月二四日付、二丁目〜三丁目)「ペール缶に
     入れる順序ですが、まずセジットを入れ紙をまるめた筒
     のようなもので缶の底の爆薬を平にならし次に黄血塩と
     砂糖入りの塩素酸ナトリウムの爆薬を入れて平にならし
               55P

     中心部に白色火薬を入れ次に黄血塩と砂糖入りの塩素酸
     ナトリウムの爆薬を入れ一番上にセジットを入れました。
     ふんわり入れてあるので紙をまるめたもので突き刺せば
     下まで通り雷管は白色火薬の部分まで紙で押して穴をあ
     けそこにリード線を持って雷管を降ろして行きうまく穴
     にはめて白色火薬部分におさめそのあとを平にならして
     装てんしました。」(請求人益永、六月一日付、一二丁
     目)「この爆弾には正確に言うと四種類の爆薬をつめま
     した。……雷管の周りに塩素酸カリを含んだ爆発物がく
     るようにした理由は塩素酸カリを含んだ爆薬の方が塩素
     酸ナトリウムを含んだ爆薬よりも敏感で爆発しやすく、
     威力も数段上であるからであります。」(大道寺あや子、
     六月一五日付、三〇丁目〜三二丁目)しかし判決の摘示
     は本件爆薬に使用された爆薬の種類は四種類であると断
     定しているがそれを裏付ける客観的証拠を示していない。
               56P
     
     請求人大道寺の右調書によればセジットSを含めて二種
     類であり、請求人益永によればセジットSを含めて三種
     類であり、大道寺あや子のみが四種類であると供述して
     いることになる。問題は大道寺あや子が硫黄を混合させ
     た爆薬(塩素酸ナトリウム六〇%砂糖三〇%硫黄一〇%
     ―六月一九日付、八丁目)を含んでいたのかどうかであ
     る。そうすると爆発残滓から硫黄が混合していたのかと
     いう化学的な鑑定問題であって、供述調書の記載の問題
     ではないことになる。いずれにしても、セジットS以外
     の種類の爆薬を含んでいたことは事実であるから、次に
     「爆発威力を数段上げようとした」のかどうかが問題と
     なる。しかし請求人両名らはセジットSの三回の実験に
     おいていずれも失敗しているのであるから、いわゆる虹
     作戦のために製造された本件爆弾も仮にセジットSのみ
     の充填であれば爆発しないものと予測するに十分であっ
     た。「爆発威力を数段上げ」るという意図は当初から全
               57P
     
     く存在しなかったのである。
    (オ) 判決は更に、浴田由紀子の六月一六日付調書も引用し、
     請求人大道寺が本件爆弾の威力を認識していたことの根
     拠としている。しかし問題は請求人大道寺の伝聞供述そ
     れ自体の存否にあるのではなく、仮に判決が摘示する供
     述があったとしても、その供述当時の請求人大道寺の心
     理状態である。即ち請求人大道寺らは東アジア反日武装
     戦線の創始者として、また爆弾闘争の先達者(『腹腹時
     計』は教祖的位置を占めていた。)であったから、後続
     者である浴田らに対し、爆弾の威力を知らなかったとは
     言えなかったし、また三菱重工事件の結果に対する弱音
     をはくわけにはいかなかったのである。判決は爆弾闘争
     に関わる者の心理状態を洞察することもなく、皮相的次
     元に終始している。
      判決は請求人両名らの供述調書を引用したうえで「本
     件爆弾の爆発力の強大でありうることを十分認識してい
               58P
     
     たことは明らかであり……、本件のような大型の爆弾の
     爆発の威力について多数回の実験等によりその威力を確
     実に一定限度内にとどめる配慮・措置をとったことが窺
     えない以上、その爆弾の威力が正確には判らない面があ
     るとしても」威力認識があったと結論付けている。
      これが第一審判決のまさに核心的部分である。爆弾の
     威力認識の存否はその爆弾の物理的・化学的解明(殊に
     爆発原因)が前提のはずである。しかし判決はその前提
     を放棄して「多数回の実験等によりその威力を確実に一
     定限度内にとどめる配慮・措置」の有無を問題にすると
     いうのである。ここに至れば、威力認識の存否という
     「事実」問題でなく、結果回避「義務」の問題にすりか
     わっているのである。しかし爆弾闘争に対して「多数回
     の実験」を義務付けるというのは法秩序のカリカチュア
     である。
      請求人益永の最終陳述も本件爆弾の爆発原因の解明が
               59P

     なければ具体性に欠ける。また、三菱重工事件後にも重
     傷者を出していることを摘示しているが、このことは三
     菱重工事件における殺意認定の間接事実とはなりえない
     ものである。セジットSが使用されたのは本件爆弾のみ
     である。使用された爆弾の物理的・化学的構造との関連
     において結果(死傷者)を問題にしなければならない。
     しかし判決は爆弾の具体的構造を無視して爆弾一般論で
     判断している。
   (4) 判決は本件爆弾の物理的・化学的解明(爆発原因)を放
    棄して「爆弾宿命論」に逃避している。
     判決は「本件爆弾の使用目的及び使用状況等」と称して
    鏤々説明しているが、本件爆弾が爆発したことを前提とし
    ている。「近代高層ビルが立ち並び、大会社・一流銀行が
    事務所・店舗を構える我が国屈指の丸の内ビジネス街の一
    角に位置する三菱重工ビルと、三菱電機ビルとの間の通称
    丸の内仲通りの歩道上であり、日中ことに平日の昼休みの
               60P
    
    時間帯には、周辺のビルに勤務するサラリーマンなどの通
    行でにぎわうところであるうえ、三菱重工ビル玄関前はと
    くに人の出入りの多い場所であるから、このような場所に
    威力の強大な大型爆弾二個を仕掛けて爆発させれば多数の
    死傷者が出ることは何人にとっても極めて明らかであ」る
    と判示している。しかし「威力の強大な大型爆弾」とは本
    件爆弾が爆発した結果からみた事後的評価である。問題は
    その威力の事前認識の有無、程度にある。そうすると威力
    が発生する爆発原因の解明が不可欠のはずであるが、判決
    はこの点に全く言及していない。むしろ逆に「爆弾は本来
    無差別的に多数の人を殺傷する威力を有する」と判示して
    いる。爆弾が本来的に殺傷威力をもっていると断定するの
    であれば、個々の爆弾の具体的構造に規定されている威力
    とその認識という問題は全て論外となってしまう。客観的
    に「爆弾」に該当し、「爆弾」を認識していれば当然に殺
    意が認定されることになる。しかしこの考え方は不当であ
               61P
    
    る。
     爆弾はその具体的構造によって、客観的威力はさまざま
    である。その威力の程度(とその認識)が殺傷能力(とそ
    の認識)に関連してくる。
     判決の認定構造はその威力の個別具体性の解明を意図的
    に回避して爆弾宿命論に逃避してしまっている。
     以上が本件爆弾の構造と請求人両名の威力認識(殺意)
    について第一審判決が判断した内容である。しかし弁護人
    らが摘示した争点についてはほとんど全く答えていない。
    控訴審判決の内容も全く同じであって、その認定構造の問
    題性はそのまま継承されている。
  2、事実誤認の原因
    第一審判決の認定構造は右にみたとおりである。要約すれ
   ば、本件爆弾の爆発による結果(社会的事象)のみに目をう
   ばわれ、爆発原因という物理的化学的現象の分析を全く放棄
   していることである。爆発による結果のみを重視しているの
               62P

   で、判決が摘示している事項(間接事実)が威力認識、延い
   ては殺意の認定にどのような関連性をもっているのか、その
   位置付けが全く説明されていない。いわゆる爆弾事件におけ
   る殺意認定の要件事実が全く示されていないので、いかなる
   事項が立証命題なのかが明らかではない。判決は威力認識、
   殺意の存在を認定した根拠を雑然と摘示し、それに付合する
   限りで請求人両名らの供述調書を引用しているのみであって
   トウトロジィの感が否定できない。そして爆発原因とその認
   識という問題においては結果回避義務や爆弾宿命論にすり変
   わってしまっている。
 (一)、爆発原因論の欠落
    爆弾は一般に爆薬(火薬)、缶体、起爆(点火)装置とい
   う要素から構成されている。そして本件爆弾においてこれら
   の要素が爆発原因にどのように作用したかが最も重要な問題
   のはずである。
   (1) 爆薬(火薬)
               63P

   @ 判決は本件爆弾に充填された爆薬の種類と量を、恣意的
    に認定している。
     先ず、爆薬の種類について、四種類であり、殊に、塩素
    酸ナトリウム(約六〇パーセント)、砂糖(約三〇パーセ
    ント)、硫黄(約一〇パーセント)の混合火薬が充填され
    ていたと認定している。認定した根拠は大道寺あや子の供
    述調書(六月一五日付、六月一九日付(甲共―10))のみ
    である。しかしこの認定は誤りである。第一に、硫黄が混
    合されていたことを示す残渣鑑定がない。第二に、判決は
    請求人両名らがセジットを発見し開発しようとした動機を
    全く無視している。硫黄を使用した北方文化研究施設・風
    雪の群像事件(昭和四七年一〇月)の後、硫黄の入手が困
    難となったことがセジットを発見することになった契機で
    ある(黄血塩の入手はそれ程困難ではなかった。事実、
    「金銭出納帳」(東京地裁昭和五二年押三一の41))の昭
    和四九年八月三日の欄によれば黄血塩四本を四四〇〇円で
               64P
    
    購入しいてることがうかがわれる。)から本件爆弾には硫
    黄を混合させることはなかったのである。大道寺あや子の
    供述調書は、本件爆弾と同時に製造された消火器爆弾(後
    に帝人事件に使用された)に硫黄を混合させたことと記憶
    を混同しているのである。実際に、ペール缶二個に充填混
    合させる硫黄は所持していなかったのである。大道寺あや
    子の六月一六日付調書添付の「在庫一覧表」の「S 1K
    g+1・5K」の記載内容は三菱重工事件(昭和四九年八
    月三〇日)後のことであり、本件爆弾製造当時(昭和四九
    年八月一〇日頃)の爆弾材料の在庫状況を示しているわけ
    ではない。判決は充填された混合爆薬の種類が多ければそ
    れだけ威力が強まるという発想のもとに、大道寺あや子の
    供述調書を認定の根拠として利用しているにすぎないので
    ある。
     次に爆薬の総量についてはペール缶一個につき二十数キ
    ログラムと認定している。この点についても大道寺あや子
               65P
    
    の供述調書(六月一九日付(甲共―10))に依拠している。
    しかしこの認定も誤りである。先ず、「二十数キログラム」
    という認定自体が極めて曖昧であって、判決自身がその認
    定に疑義をもっていることをうかがわせる。大道寺あや子
    の右調書によれば、「三菱重工と帝人中央研究所で使った
    爆弾の爆薬の総量は五五キロ四六六グラムないし五六キロ
    八六六グラムという計算になります。従ってこれらの爆弾
    の爆薬の総量は五五キロないし五六キロ強ということにな
    り私の実際に爆薬の調合をした際の感じや缶に詰めた際の
    の感じを仲間から聞いているのから判断しても五五〜六キ
    ロというのは実際の数字に非常に近い数字ではないかと思
    っております。」(一〇丁目〜一一丁目)と断言している。
    そうすると帝人事件に使用された消火器爆弾の爆薬量一・
    五キログラムを差引いて、五三・五〜五四・五キログラム
    が本件爆弾の爆薬総量ということになるはずである。二個
    のペール缶に等量ずつ充填すれば一缶の量は約二六・七キ
               66P
    
    ログラムである。判決が認定する「二十数キログラム」と
    いう相当幅のある計量ではないのである。しかし判決が大
    道寺あや子の右調書を根拠に約二六・七キログラムと認定
    しなかったのは、やはり不自然であると思料したからに他
    ならない。判決は荒川事件の「罪となるべき事実」におい
    て「一個の容量約二〇リットル余の金属製ペール缶」と認
    定しており、一リットルで爆薬一キログラムが大体の目安
    であるから、二〇リットルであれば二〇キログラムが目安
    となる。しかも大道寺あや子の右調書によれば「間組本社
    九階の爆弾を作った時には三キロの爆薬を粉ミルク缶につ
    めたのですが、この時には手で少し爆薬を押し込んでつめ
    た位であり、蓋のところまでいっぱいでありましたが、三
    菱重工の爆弾は缶の上の方は少しあく位のつめ方であった
    と仲間から聞いております」(一一丁目)というのである
    から、二六・七キログラム充填したというのはますます不
    自然なことになつてしまったからである。この不自然は、
               67P
    
    本件爆弾に硫黄を含んだ混合火薬が充填されているとした
    ことに起因している。大道寺あや子は本件爆弾と消火器爆
    弾(後の帝人事件に使用されたもの)に充填された爆薬に
    塩素酸ナトリウム、砂糖、硫黄の混合火薬も含んでいると
    して「塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パーセ
    ント、硫黄一〇パーセントの割合で混合した爆薬は一六な
    いし一七キロということになります。これは硫黄の使用量
    を基にして算出したものです。」(六月一九日付(甲共―
    10)八丁目〜九丁目)と供述している。そして硫黄の使用
    量について「五〇〇グラム入りのもの三箱を使用したほか
    に若干量を使ったという記憶がありますので硫黄の消費量
    を一・六キロ又は一・七キロとして計算するとこの爆薬の
    全量は一六キロ又は一七キロという計算になるのです。」
    (九丁目)と供述している。硫黄の混合火薬に占める割合
    は一〇パーセントであるから硫黄の使用量を基準にすれば
    総量は単純計算される。しかし硫黄の使用量を一・六ない
               68P
              
    し一・七キロとする記憶の根拠が曖昧である。大道寺あや
    子は本件爆弾(更に帝人事件に使用した消火器爆弾も含め
    て)の爆薬総量算出の基礎としているワセリン、あるいは
    黄血塩の使用量の根拠を明確にしているが、この硫黄だけ
    が不明確である。本件爆弾の爆薬の種類を四種類であると
    さしたる根拠もなく断定したばかりに、硫黄を含む混合火
    薬一六、七キログラム(消火器爆弾に使用したはずの一.
    五キロを差引いても一四・五ないし一五・五キロである。)
    を他の三種類の混合爆薬の総量約四〇キログラムに加算す
    ることになってしまったのである。しかしペール二缶で約
    四〇リットルであり、従って爆薬総量四〇キログラムが目
    安であるのに、硫黄を含む混合火薬を加算するので約一三、
    四キログラムも増えることになる。これはペール缶の容積
    からして不可能なことである。大道寺あや子は六月一五日
    付調書において「三菱重工玄関前に仕掛けた二個の爆弾に
    つめた爆薬の総量は四〇キログラム位であり、そのうち塩
               69P
    
    素酸カリを含んだ爆薬の量は四〇〇グラム位であったと思
    います。」(三二丁目)と供述していたのである。しかし
    捜査当局はこの供述に満足せず、本件爆弾の爆薬の種類と
    総量が多ければ多いほど好ましいとの思惑から作成された
    のが六月一九日付(甲共―10)調書である。そしてこの捜
    査当局の思惑をなんら批判することもなく物理的・化学的
    分析とは全く別の手法で認定したのが第一審判決の「罪と
    なるべき事実」である。
   A 判決は「セジット」と総称されている爆薬(火薬)につ
    いて化学的な分析を全くしていない。
     請求人両名らが実験のために製造し、そして本件爆弾に
    使用したのは「セジットS」(ニトロ化合物を含んでいな
    いもの)であったが、この「セジットS」の外見的形状に
    ついて判決は全く説明していない。「セジット」は我が国
    では製造が許可されていないため商品化されていない。ま
    た一般にも知られていない。従ってその製造工程と、出来
               70P

    あがった外見的形状が先ず問題となるはずであった。殊に
    弁護人らは実験における不発と、本件爆弾の爆発の原因は
    「充填密度」にあると争点を摘示していたのである。
     大道寺あや子は、六月一五日付調書において「私がセジ
    ットを作った時にはこの実験の時にも、また三菱重工に仕
    掛けた爆弾を作った時にもワセリンは白色ワセリンを使い、
    パラフィンは固形パラフィンを使い、塩素酸ナトリウムは
    クサトールを使いました。セジットを作る際はワセリンと
    パラフィンを混ぜて蒸発皿に入れそれに八〇度位まで加熱
    するとどろどろに溶けますので、それを五五度から六〇度
    位まで冷やしたところで塩素酸ナトリウムを加えて混ぜま
    すとしめった土状のものができます。これを放置して冷や
    しますとざらざらした固まりになります。三菱重工の爆弾
    にはこのように冷やしてざらざらして固まりになったもの
    を使いました。しかし実験の時にはまだ温かく土状のもの
    を容器につめ、上から手で圧力を加えました。これを冷や
               71P
    
    すとろうそく状になりました。」(四丁目〜五丁目)これ
    によれば実験の時と本件爆弾の時では製造工程は全く同様
    であるが、缶体に充填するまでに「放置して冷やす」時間
    を置いたかどうかが相異点である。実験の時(三回の実験
    をしている。)は「放置して冷やす」間もなく缶に詰めロ
    ーソク状にしているのに対し、本件爆弾では「放置して冷
    やし」たためざらざらした状態となって粒状のものとなっ
    た。請求人両名も本件爆弾について大道寺あや子とほぼ同
    旨の供述をしている(請求人大道寺につき六月一四日付調
    書(三二丁目)、請求人益永につき六月一日付調書(一一
    丁目)六月一二付調書(二七丁目))。
     そうすると「セジット」といわれるもの一般、更に「セ
    ジットS」が爆破に使用される時の外見的形状はいかなる
    ものであるかが先ず問題となる。
     証人荻原嘉光はこの点につきつぎのように証言している
    (二五回公判)。
               72P
    
      「証人が作ったんですか。」
      「いや会社(日本カーリット株式会社―引用者)へ委
       託して作ってもらいました。」
      「どういう工程で作ったかというのは証人わかります
      か。」
      「セジットという爆薬はパラフィン、ワセリン、捜査
      側の資料によれば塩素酸ナトリウムを主成分とした除
      草剤ですが、その三つを混合するわけですが、パラフ
      ィンとワセリンを温めて溶かして、それに除草剤を入
      れて混ぜると。そうして作るわけです。」
      「混ぜてどういう状態になっていたわけですか。」
      「混ぜて温度が冷めてまいりますといくらかボロボロ
      した形の固形物になります。」
      「証人のところに会社から届いた時にはどういうよう
      な状態で届いたんですか。」
      「ボロボロした固形物のような形になっております。」
               73P
    
     右証人が火薬製造会社である日本カーリットに「セジッ
    トS」の製造を依頼したところ、出来あがった形状はボロ
    ボロした状態であった。「セジットS」の製品的形状はロ
    ーソク状ではないということである。専門の火薬製造会社
    では「セジットS」の製品的形状がどのようなものかを、
    製造が禁止されていたとはいえ、当然に知っていた。しか
    し一般には知ることのできない事実である。そこで「セジ
    ットS」がローソク状では爆発しないものか、爆発しない
    とすればその化学的理由が間題となる。また「セジットS」
    がボロボロした状態であればなぜ爆発するのかが間題とな
    るはずである。これが本件爆弾の爆発原因論である。
     判決は「セジットS」の性能、威力について説明すると
    ころがない。判決は請求人両名の本件爆弾の威力認議の根
    拠として『火薬と発破』六七〜八頁、バインダーメモ(そ
    の引用原典は『火薬技術者必携』である。)を摘示してい
    るが、これらを根拠とすることは不当であり誤りであるこ
               74P
    
    とは既に述べたとおりである。判決はセジットについて記
    載されてある文献を強引にも引用しているにすぎないので
    ある。むしろ前記証人荻原は「工業爆薬というのはかなり
    破壌力が強いんであります。ところが塩素酸塩系の爆薬を
    使って実験したところが工業爆薬の破壌力には及ばないよ
    うな程度の破壊結果をえたと。その破壊結果というものが
    三菱重工のコンクリート路面の破壊結果と非常に似ている
    という点から本件の場合に工業爆薬ではなくもっと猛度の
    低い、つまり破壊力の小さい爆薬が該当するであろう」と
    証言しているのである(二五回公判)。塩素酸塩系の爆薬
    として「セジット」爆薬が選ばれた(その理由について右
    証人は「基礎鑑定をやる段階においては本件に使用された
    爆薬がセジットの爆薬であるという疑いがあるという捜査
    側の資料があったものですから、この爆薬を実際使ってみ
    てこれを実験に組み入れるという考えをもった」と証言し
    ている(二五回公判)。)。基礎鑑定に使われたセジット
               75P
    
    とは「セジツトS」のことである。そうすると右証人によ
    れば「セジツトS」は「もっと猛度の低い」「破壌力の小
    さい爆薬」と分析されるはずのものである。しかし判決は
    文献を不当に引用して「爆力はかなり強い」として請求人
    両名らの威力認識の有力な証拠としているのである。
   (2) 缶体
     判決は本件爆弾の缶体について、恣意的にその特徴を摘
    示して威力認識の根拠としている。
     判決は本件爆弾の缶体である「ペール缶」といわれてい
    るものについて「弾体となる容器に気密性が高く頑丈なも
    の」と特徴付け、「頑丈で気密性の高い容器を弾体に用い
    ることにより爆発力を高める工夫をした」と認定している。
    そしてこの認定の根拠として請求人両名らの供述調書を引
    用していることは既に述べたとおりである。
     しかしこの認定はなんらの物理的・化学的考察に基くも
    のではない。三菱重工事件においては相当多数の鑑定書が
               76P
   
    証拠採用されている。そこで判決が認定しているところの
    本件爆弾のペール缶の気密性と爆発力の関連性を裏付ける
    物理的・化学的分析がなされているかを吟味してみる。
     先ず、本件爆弾のペール缶そのものに関係する鑑定とし
    ては昭和五O年五月二二日付鑑定書(甲二23)、昭和五O
    年四月一七日付鑑定書(甲二24)である。しかしいずれの
    鑑定もペール缶の気密性を間題にしているわけではない。
    五月二二日付鑑定書の鑑定事項は「資料1に付着している
    塗料の種類は何か。資料1に付着している塗料と資料2、
    3の塗料との異同」というものであり、四月一七日付鑑定
    表の鑑定事項は「資料1と資料2との間に形状の類似点が
    あるか。」というものである。要するにこれらの鑑定は現
    場遺留品から、本件爆弾に使用された缶体を特定するため
    の基礎的作業にすぎない。従ってこれらの鑑定からペール
    缶の気密性と威力の関係が裏付けられるわけではない。
     次に昭和五〇年六月一八日付鑑定書(甲二28)、昭和五
               77P
    
    〇年一一月一〇日付鑑定書(補足)(甲二29)、昭和五〇
    年一一月一〇日付鑑定書(補足回答)(甲二30)が本件爆
    弾の構造に関係するものである。
     六月一八日付鑑定書の鑑定結果は次のようなものである。
    「1、爆発物の主体をなすものは、
    (一) ナショナルハイトップ……積層乾電池二個、旅行時
      計二個……何らかの構造を有する点火具およびこれら
      を結合する電線類からなる二組の時限式点火装置
    (二) 爆薬をつめたペールかん……と推定される容器二組
      をそれぞれ組合わせた、いわゆる電気的発火方式によ
      る時限式爆弾の構造を有していたものと推定する。
       なお、これら点火装置および爆弾本体がどのような
      組合わせまたは取付方法であったかは確定できない。
     2、爆薬は硝酸系爆薬、塩素酸系爆薬、またはこれら両
      者が含まれる爆薬のいずれかと思われるが、現段階で
      はそのいずれであるか碓認できない。」
               78P
    
     この鑑定書によれば本件爆弾の缶体としてペール缶が使
    用されたものと推定しているがそれ以上にペール缶の性能
    (気密性)と本件爆弾の威力についてなんらかの考察をし
    ているわけではない。
     一一月一〇日付鑑定書(甲二29)は爆薬の種類について
    「爆薬の種類は被害全般からみて、破壊力の大きい猛度大
    なる工業爆薬類と考えるよりは、むしろ猛度の比較的小さ
    い爆薬であると推定する。」と結論付けている。同日付鑑
    定書(甲二30)は、その結論に至る鑑定経過を説明したも
    のである。それによれば本件爆弾の爆薬が「工業爆薬類よ
    り低い猛度の爆薬」であるとの結論(鑑定書結果)は実験
    に依拠している。その実験の際にペール缶が使用されたこ
    とがうかがわれる。「爆薬を充填する容器として鉄薄板製
    の円筒缶を用い円筒缶の径は八・五p、一〇・五p、およ
    び二八・五pのものを用いた。この中二八・五pのものは
    ペール缶で、他は茶筒形円筒缶である。」しかしその実験
               79P
    
    内容をみるとペール缶の気密性と爆弾の威力の関係を間題
    にしているわけではない。缶体容量の直径と漏斗孔の平均
    直径の比を、三号桐ダイナマイト、硝安油剤爆薬、セジッ
    ト爆薬を用いて求めることを目的としている。このことは
    三菱重工事件の爆心地点に生じたとされる漏斗孔の状況か
    らいかなる種類の爆薬が使用されたのかを特定する作業を
    意味している。従ってこの実験においては爆薬の種類、成
    分が間題となっているのであって、缶体容器が間題となっ
    ているわけではない。実験に使用された直径二八・五pの
    容器もペール缶である必要はない。一一月一〇日付鑑定書
    の基礎となった実験は昭和五〇年九月頃実施されているが
    この時点では既に本件爆弾の缶体としてペール缶が使用さ
    れたと推定されていたから、ペール缶が用いられたにすぎ
    ないのである。缶体の性能(気密性、強度)と爆弾の威力
    の関連性を間題にするのであれば、一定の爆薬(本件爆弾
    にいえばセジット)の基に、数種類の缶体を用いて爆発実
               80P
   
    験することになると思われる。しかし一一月一〇日付鑑定
    書(二通)にはそのような実験結果と鑑定結果は記載され
    てはいない。
     右鑑定書の作成者である前記証人荻原も次のように証言
    している(二五回公判)。
     「たとえばダイナマイトとかカーリットとかそういった
     工業爆薬というものは、非常に猛度が高い。したがって
     もう工業爆薬で推定される薬量で爆発した場合には大き
     な漏斗孔が生じなければならない。しかるに実験では工
     業爆薬は確かに大きい漏斗孔を生じるけれども、塩素酸
     塩系の爆薬では漏斗孔は小さいという結果が出たわけで
     あります。その塩素酸塩系の爆薬の漏斗孔と三菱重工の
     漏斗孔がどちらかというと非常に近いということです。」
     この証言からも鑑定書の基礎となっている実験の目的は
    明らかである。漏斗孔の状況から本件爆弾の爆薬の種類を
    特定することにあった。そして漏斗孔の大きさと爆薬猛度
               81P
    
    との関連性を測定するために缶体容器の直径がもち出され
    たにすぎない。この点について右荻原証人は「猛度が大き
    ければ破壊力は当然大きくなるほずだから、そのかんの直
    径に対して漏斗孔というのはかなり大きくなるであろうと
    いう一つの推定があるわけです。そういう意味で猛度の違
    った爆薬を並べて実験してみたわけです。」(二五回公判)
    と証言している。もっとも爆薬猛度を漏斗孔、缶体容器の
    直径比から果たして求めうるのかという鑑定方法に対する
    基本的疑間はある。しかしいずれにしてもペール缶の気密
    性は全く間題になっていないことは明らかである。
     他に、ペール缶の気密性を鑑定事項とした鑑定書は見当
    らない。また、この点に関する物理的・化学的考祭もなさ
    れてはいない。
     そうすると判決の認定は客観的裏付けを欠くものである。
    本件爆弾の爆発原因と威力の物理的・化学的解明をまって、
    請求人両名の威力認識の有無を認定しているのではないこ
               82P
    とになる。請求人両名らの供述調書にセジツトと缶体容器
    を関連させる内容の記載があることを奇貨として、そこか
    ら逆に威力認識を認定する事項の如く、描出しているにす
    ぎないのである。しかしその供述調書の信用性を裏付ける
    物理的・化学的分析が欠けている。
   (3) 起爆(点火)装置
     判決は本件爆弾に手製雷管を使用していることを殊更に
    とりあげて威力認識の根拠としているが、本件爆弾の物理
    的・化学的解明は全くなされていない。
     判決は、起爆装置として「ガスヒーターをやめて手製雷
    管を用いたこと」を恣意的にとりあげて、起爆力を高める
    ために使用したと認定している。
     しかしこの認定は誤りである。雷汞雷管を開発した契機
    はセジット開発と密接な関係にあるが、雷汞雷管を使用し
    ても「セジットS」は爆発しなかったのである。セジット
    Sは請求人両名らの実験・開発段階においては一度も爆発
               83P
   
    しなかったのである。点火装置としてガスヒーターを使用
    したときは爆発しなかったが、雷汞雷管を使用してはじめ
    て爆発したのであれば、雷汞雷管の起爆力を裏付けるもの
    といえよう。またガスヒーターと雷汞雷管の起爆力に顕著
    な差異が実験上認められるのであれば雷汞雷管の起爆力を
    裏付けるものといえる。しかし請求人両名らの実験におい
    てはいずれも失敗したのであるから、本件爆弾の威力認識
    の根拠として、雷汞雷管を摘示することはなんらの説得力
    をもつものではないのである。
     むしろ、第一審の審理においては、判決の認定とは全く
    反対の事実が顕出されていたのである。それは前記証人荻
    原が七一回公判において次のように証言していたのである。
     「セジットをガスヒーターのような点火装置で点火させ
     た実験はやっておりますか。」
     「やっております。」
     「ガスヒーターはどういうふうな形で着用したわけです
               84P
    
     か。」
     「多分ガスヒーターにプラスとマイナス側に線をはんだ
     でつけまして、電池を電源として起爆したように記憶し
     ています・」
     「ガスヒーターのところに何か詰め物をするというよう
     なことはしないでですか。」
     「詰め物をしたかどうか、今記憶はございません。」
     「それでセジットを爆発させてみたということですか。」
     「そうです。」
     「実際にそのときは爆発しましたか。」
     「しました。」
     「缶体はそのとき何を使ったんですか。」
     「鉄パイプだったと思います。」
     右荻原証言からは実験経過と結果の詳細は明らかではな
    い。先ず点火装置としてのガスヒーターの構造が明らかで
    はない。請求人両名らが点火装置としてガスヒーターを使
               85P
   
    用する場合は当然に『腹腹時計』一七〜二〇頁に記載して
    あるものを指している。それによれば、ガス点火用ヒータ
    ーの先端部に少量の混合火薬(硫黄と塩素酸カリウム等を
    混合したもの)を詰めている。また缶体容器は鉄パイプで
    あったことを証言しているが、鉄パイプ以外の缶体を使用
    した実験がなされたのかどうか明らかではない。しかしい
    ずれにしてもセジット(正確には「セジットS」である。)
    がガスヒーターを点火装置としても爆発したという実験結
    果は重要である。 
     しかし判決はこの事実を故意に無視している。請求人両
    名が本件爆弾の威力を認識していたと結論付けるあまり、
    請求人両名らの供述調書に、雷汞雷管と爆弾の威力を関連
    付ける記載内容があることを奇貨として、無条件に供述調
    書を信用しているにすぎない。しかし本件爆弾と雷汞雷管
    の物理的化学的解明は全く欠落している。
  (4) 充填
               86P
    
    @ セジツトS
     判決はセジットSがペール缶にどのように充填されたか
    全く間題にしていない。
     大道寺あや子の六月一五日付調書によれば、請求人両名
    らの実験の時と本件爆弾とではセジットSの詰め方が違っ
    ていた。実験の時は「まだ温かく土状のものを容器につめ、
    上から手で圧力を加えた」(五丁目)のであり、セジット
    Sはローソク状になった。本件爆弾の時は「放置して冷や
    し」てからペール缶に充填した。その模様は請求人益永が
    六月一二日付調書で述べているとおりである。「私は紙を
    丸めてロート状にしてペール缶の口元にさしそこから中に
    爆薬を入れある程度たまると棒状に丸めた紙を口元から中
    にさし入れてそっと平にならしまた爆薬を入れるといった
    ことをくり返しました。」(二七丁目)従ってローソク状
    にはなりえなかった。そしてローソク状にはなりえなかっ
    たことと、本件爆弾にペール缶を使用したことは因果的に
               87P
    
    合致するのである。それは本件爆弾に使用されたペール缶
    が口金の型態をしていたことが決定的であった。口金(フ
    ランジ)の直径は数センチしかなかった(昭和五〇年四月
    一七日付鑑定書(甲二24)の鑑定資料とされたペール缶と
    同一のものとすれば口金(フランジ)の外径は六・八セン
    チである。)。請求人両名らの実験の時のように、温かい
    まま容器につめて圧力を加えてローソク状にすることは凡
    そ不可能だったのである。
     前記荻原証人は鑑定の基礎的実験の際の、セジットSの
    充填方法につき次のように証言している(七一回公判)。
     「セジットは外注したものだということなんですが、詰
     める際にはどういうふうにして詰めたんでしょうか。」
     「ペール缶というのは小さな口金があって口金をあける
     と小さな穴があってそこから入るわけですけれども、そ
     の口金から入れた場合には大体においてほぼ満杯になる
     程度ですね。特に強く詰めるというよりも大体手で押し
               88P
    
     て穴の口までふさがるように詰める、その程度です。」
     「何か紙で筒にしてそこから口穴にいれたというような
     とですか。」
     「そうです。」
     「セジットを作って温かいまま手でこねくり回して缶に
     ぎゅうぎゅう詰めて行くと、そういう形だと装填密度は
     証人がやられた実験のときよりも遥かに高くなることは
     まちがいないですね。」
     「私共がやった場合でもかなり詰めたものもございます。
     それは口金でない場合ですね。蓋をあけて詰める場合に
     かなり詰めたものもございます。……」
     右尋間者(弁護人)の「装填密度」という概念は本件爆
    弾の爆発原因―真相―を把握するものとして必ずしも適切
    ではない。しかし「装填密度」という基準を前提として、
    口金からセジットSを詰めた場合と、蓋をあけて詰めた場
    合とで、爆発現象にどのような差異が生じてくるのかが問
               89P
    
    題となるはずである。しかし荻原証人は一般論を説明する
    のみで鑑定実験の結果を証言してはいない。
     もっとも右荻原証言の内容と尋間者の尋間趣旨は必ずし
    も対応してはいない。証人の場合は、セジットSは日本カ
    ーリツトに外注し「ボロボロした固形物」(二五回公判、
    同証人証言)を受け取ったのであるから「温かいまま手で
    こねくり回」す形状ではなかったのである。従って、口金
    でない、蓋をあける型態の容器の場合でも、請求人両名ら
    の実験の時の充填方法とは全く違っていたというべきなの
    である。そうするとセジットSの外見的成状と関連して、
    本件爆弾においてセジットSをどのように充填したのか―
    詰め方―が重要な間題となってくる。請求人両名らが実験
    において充填方法の比較実験をした事実はないから、ペー
    ル缶(口金の型態のもの)に初めて接したことは、本件爆
    弾の爆発とその威力認識において無視できない争点であっ
    た。しかし判決はこの点について全く言及するところがな
               90P
    
     い。
   A いわゆる白色火薬
     判決は本件爆弾にセジツトSの他に「数種の混合爆薬を
    用いたこと」を摘示するが、そのことが爆発原因にどのよ
    うに作用したのか、その化学的分析を示すところがない。
     本件爆弾に二種類の混合爆薬(塩素酸ナトリウム、黄血
    塩、砂糖を混合したものと塩素酸カリウム、黄皿塩、砂塘
    を混合したもの)を充填したことが「爆発力を高める」と
    認定されているが、その物理的・化学的解明はなされてい
    ない。まして請求人両名らがいわゆる虹作戦のために本件
    爆弾を製造し(昭和四九年八月一〇日頃)、三菱重工事件
    に使用されるまでの間(二〇日余)に、ペール缶内部の爆
    薬がどのように物理的・化学的に組成変化したかについて
    判決の思考の限りではなかった。
  (二)、爆弾宿命論への逃避
    第一審判決の爆発原因論の欠落は爆弾宿命論への逃避と表
               91P
    
   裏をなすものである。
    本件爆弾の威力認識、延ては殺意の認定は「証拠による」
   (刑訴法三一七条)べきものである。そうすると本件爆弾の
   構造とその爆発原因の客観的分析(物理的・化学的解明)が
   不可欠である。その分析から得られた諸要素と、請求人両名
   の本件爆弾との関わりから威力認識(殺意)が認定されなけ
   ればならない。
    しかし判決の認定手法は全く別のものである。「爆弾は、
   本来無差別的に多数の人を殺傷する威力を有する」ことを認
   定の出発点としているから、爆弾の構造と爆発原因の物理的
   ・化学的分析は本来的に不必要となってしまう。従って「そ
   の爆弾の威力が正確には判らない面があるとしても、その爆
   弾の威力に応じた結果の発生することを、当然認容していた
   ものと認めざるをえない。」と判旨するのは、当初から予定
   された当然のことである。
    これは「事実」の認定ではない。事実認定に名を借りた
               92P
    
   「思想」の表明である。第一審判決自らが請求人両名が本件
   爆弾の威力について「判らない面がある」ことを認めていた
   のである。しかしそれでも殺意の存在を断定しているのであ
   るから、これは論理矛盾というよりも、いわゆる爆弾事件の
   審理においては、特別の判断方法―「特別」刑訴法―を採用
   したということである。判決がこのような審理方法を採用し
   た動機(裁判心理)を次のようにいみしくも披瀝しているの
   である。
   「近時、手製爆弾は、暴力革命を標榜し爆弾闘争を呼号する
   過激派の武器として頻繁に用いられるに至っているところ、
   爆弾事件は少人数での犯行が可能であり、しかも強大無差別
   な殺傷力があり、本件のように時限装置を用いれば犯行を現
   認されることも少なく、犯人自身は安全圏に退避できるし、
   爆発による証拠の減失などから犯人検挙が極めて困難である
   と思われ、さらに追随者による連鎖反応を起こしやすい犯罪
   であるから、この種の犯罪に対しては、社会防衛、一般予防
               93P
    
   の見地から厳罰が要求される。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
               94P
    
 三、三菱重工事件の「真実」―殺意の不存在―
  1、本件爆弾に至る経緯
    請求人両名と本件爆弾との関わりを時間的経緯を追って明
   らかにする。判決は三麦重工事件以前の爆弾事件や爆弾実験
   の事実を請求人両名に威力の認識があったことの根拠として
   摘示している。しかし第一審判決が自ら、「証拠の標目」と
   して掲げている「金銭出納帳二冊」(昭和五二年押第三一号
   の41)をふまえて詳細に事実経過を分折すれば、威力認識の
   不存在、殺意の不存在が如実に立証されてくるのである。第
   一審判決は右の「金銭出納帳」の内容を故意に無視してい
   る。
   (一)、セジットの発見
    (1)、セジット以前
      請求人両名らは三菱重工事件以前に四件の記念碑爆破
     を実行し、その準備として二、三回の爆破実験をしてい
      る。
                95P
     
    @ 昭和四六年一月頃の釧路海岸での実験
      いわゆる黒色火薬(硝石、炭粉、硫黄)を味の素、食
     卓塩のビンに詰めて導火線を装置したものである(請求
     人大道寺、六月一日付(一四丁目))。
    A 昭和四六年一〇月頃の九十九里浜での実験
      黒色火薬である。
    B 昭和四六年一一月頃の奥多摩上流での実験
      黒色火薬をプラスチックの容器に詰めてガスヒーター
     (先端部に塩素酸カリウムと硫黄を詰めている。)を点火
     装置としたものである(請求人益永、七月三日付三丁
     目))。
    C 昭和四六年一二月の興亜観音等事件
      消火器、鉄パイプ(ニップル型、バンガーロール型)
     を缶体として黒色火薬(硝石と塩素酸カリウムを混ぜた
     もの七五パーセント、炭粉一五パーセント、硫黄一〇パ
     ーセント―もっとも塩素酸カリウムを混合していないも
               96P
   
     のもある。)を詰め、ガスヒーター(塩素酸カリウム、硫
     黄を詰めている。)を点火装置としたものである(請求
     人益永、七月三日付(四丁目〜五丁目))。―なお請求人
     大道寺、七月二日付(乙一26)(九丁目)。
    D 昭和四七年四月の総持寺事件
      消火器を缶体として黒色火薬(硝石七五パーセント、
     炭粉一五パーセント、硫黄一〇パーセント―塩素酸カリ
     ウムを混合していない。)を詰め、ガスヒーター(塩素
     酸カリウムと硫黄を詰めている。)を点火装置としたもの
     である(請求人益永、七月三日付二〇丁目〜二一丁
     目))。―なお請求人大道寺、七月二日付(乙一27)(九丁
     目)。
    E 昭和四七年一〇月の北方文化研究施設・風雪の群像事
      件
      前者においては、菓子缶を缶体として塩素酸ナトリウ
     ム六〇パーセント砂糖三〇パーセント、硫黄一〇パーセ
              97P
    
     ントの混合爆薬を詰め、後者においては醤油缶を缶体と
     して、塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パー
     セント、硫黄一〇パーセントの混合爆薬(総量の七〇パ
     ーセント)、塩素酸カリウム五〇パーセント、砂糖、黄
     血塩各二五パーセントの混合爆薬(総量の三〇パーセン
     ト)の二種類を詰め、ガスヒーター(塩素酸カリウム、
     硫黄が詰めてある。)を点火装置としている(請求人益
     永、七月三日付(三一丁目〜三二丁目)、なお請求人大
     道寺、七月三日付(一二丁目及び一五丁目))。
      請求人両名が昭和四七年一〇月の北方文化研究施設、
     風雪の群像事件までに関与した各爆弾の構造は概略、以
     上のようなものである。総持寺事件まではいわゆる黒色
     火薬を爆薬としている。北方文化研究施設、風雪の群像
     事件ではじめて黒色火薬以外のものを爆薬としたのであ
     る。請求人両名らが後に(昭和四九年三月)公けにした
     『腹腹時計』に記載してあるように「最初はあれこれ試
               98P
     
     みずに、黒色火薬(塩素酸カリウム、塩素酸ナトリウム、
     硝石等の酸化剤 = 75%、木炭(試薬または工業用活性
     炭でもよい)= 15%、硫黄= 10%)が安全で威力もあ
     るので、これから始める方がよい。」(一五頁)からで
     あった。そして「詳しい製造方去については『バラの詩』
     等に詳しく書かれているのでここでは省略する。」(同頁)
     と記載する程に、請求人両名らも、当時は『バラの詩』
     に依拠していた。
      たとえば請求人益永は公判廷において次のように供述
     している(六六回公判)。なお、請求人大道寺につき控
     訴審(八回公判)の供述。
      「地下出版みたいな形で出している『ばらの詩』とか
      ああいった類の本は読みましたか。」
      「『ばらの詩』『栄養分析表』そういった類の本は手に
      入ったものは熱心に読んだ記憶はあります。」
      「実際にこういう本は役に立つんですか。」
               99P
      
      「全く右も左もわからない時代はとにかく手製の武器
      というものがどういう構造なのかということを知るた
      めには役立ちました…」
      そこで『バラの詩』をみてみると、いわゆる黒色火薬
     として二種類のものが記載されている。一つは硝酸塩・
     亜硝酸塩爆薬の一種類としての「黒色火薬」である。硝
     石又はチリ硝石七五パーセント、木炭一五パーセント、
     硫黄一〇パーセントの混合比率である。性能として「最
     も古く、しかも現在でも発破や猟銃用としてよく使われ
     ている。安全ですぐれた火薬であるが威力は後述の物よ
     り小さい。」と説明されている。もっとも右説明の「後
     述の物」とはなにを指しているのかは明らかではない。
     もう一つは塩素酸塩爆薬の一種類としての「塩剥黒色火
     薬(Maind Mine)」である。塩素酸カリウム又はソー
     ダ(塩素酸ナトリウム)七五%、木炭一五%、硫黄一〇
     パーセントを混合比率とし、最後にエタノール又はガソ
               100P
      
     リン、アセトンで全体が湿める程度に混合すると製造方
     法が記載されている。性能として「黒色火薬と同じ混合
     比をもつ、最も古い塩素酸塩爆薬である。感度が高く危
     険なので工業的には製造されなくなったが、威力が大き
     く、製法が簡単なので手製では最高品である。」と説明
     されている。『腹腹時計』の「黒色火薬」はこの二つの黒
     色火薬(硝酸塩・亜硝塩系のものと塩素酸塩系のもの)
     を合せて記載したものである。請求人両名らは『バラの
     詩』に依拠して黒色火薬爆弾から出発した。
    (ア) 酸化剤
      昭和四六年一月の釧路海岸実験では先ず、硝石を酸化
     剤とした。缶体に味の素や食卓塩のビンを使用した程度
     ではあったが、『バラの詩』が説明していたように、威
     力は小さかった。請求人大道寺が控訴審において「まあ
     成功したというか、一応瓶が割れる位のあれはありまし
     た」と供述している程度である。昭和四六年一〇月、一
               101P
      
     一月の実験において酸化剤に何を使用したのか明らかで
     ないが、一月の奥多摩上流での実験結果は請求人益永に
     よれば「爆燃しただけで終ってしまいました。」(七月三
     日付、三丁目))。
      興亜観音等事件においては黒色火薬の酸化剤に塩素酸
     カリウムを使用している。酸化剤として硝石と塩素酸カ
     リウムを混合したものと、硝石のみのものと二種類製造
     したが、硝石、塩素酸カリウム混合型の方が黒色火薬と
     しての威力が発揮された。『バラの詩』の「塩剥黒色火
     薬」の「威力が大きい」ことが実証されたことになっ
     た。
      総持寺事件においては酸化剤として硝石のみであっ
     た。請求人益永によれば「七士の碑を爆破する時に使っ
     た黒色火薬には塩カリを入れましたが総持寺の納骨堂爆
     破の爆弾には塩カリを入れませんでした。当時塩カリが
     あや子の手元になかったからだと思います。」(七月三日
               102P
      
     付、(二〇丁目〜二一丁目))その結果は「爆弾に塩カリ
     が入れてないため威力が弱かったこともあって台座の部
     分には穴があいたけれど納骨堂の壁にはわずかにひびが
     入った程度であった」(七月三日付、(二八丁目))ので
     あった。
      興亜観音等事件における酸化剤を硝石と塩素酸カリウ
     ムの混合型とした爆弾と総持寺における爆弾は爆薬の種
     類を異にするのみで、それ以外は構造的には同一である。
     第一審判決は総持寺事件の「罪となるべき事実」におい
     て「約四・八リットル入りの消火器の容器に塩素酸カリ
     ウム約七五パーセント・炭粉約一五パーセント・硫黄約
     一〇パーセントの割合で混合した爆薬約二キログラム」
     と認定している。しかしこの総持寺事件において黒色火
     薬の酸化剤を塩素酸カリウムであると認定できる根拠は
     見当たらない。請求人益永が六六回公判において「総持
     寺は黒色火薬でした。硝石が七五、硫黄が一〇、炭素粉
               103P
      
     が一五、こういう黒色火薬を使って、それで少し塩素酸
     カリを使った黒色火薬もまぜたような気がします。」と
     供述している程度である。それでも判決の「塩素酸カリ
     ウム約七五パーセント」の認定は出来ないはずである。
     判決の認定は根拠がない。そうすると、酸化剤として塩
     素酸カリウムを混合させたのかどうかが重要な要素と
     なってくる。そして当然に請求人両名の認識体系にも塩
     素酸カリウムを酸化剤としたかどうかが重要な問題とし
     て反映してくるのである。
    (イ) 硫黄
      請求人両名らが製造した各黒色火薬爆弾を一見すれ
     ば、酸化剤の他に木炭(炭粉)、硫黄が常に混合されて
     いる。これは『バラの詩』に依拠する限り当然のことで
     ある。木炭、硫黄は酸化剤に対する還元剤であるから、
     純化学的には木炭、硫黄でなければならない必然性はな
     い。同一の化学的反応を示す材科であればよいことにな
               104P
      
     る。『バラの詩』自ら「多数の薬品や物質の氾濫してい
     る現代市民社会では過去の時代とは比較にならないほど
     の材料の入手は簡単であるが、入用な薬品が必異な量だ
     け手に入るとはかぎらないから、代用がどこまで可能で、
     どのような代用が不適かということ等を明確に把握しな
     ければならない。」と告げていた。しかし、木炭(炭粉)
     はともかくとして、硫黄の代用品にっいては全く示して
     いない。そうすると『バラの詩』の「黒色火薬」に依拠
     する限り、硫黄の占める位置は高いことになる。しかも
     硫黄は点火装置としてのガスヒーターにも発火剤として
     使用されていたのである。
      爆弾の本体である爆薬に必要な薬品、材料の入手確保
     が爆弾闘争の生命線である。硫黄が自由に入手できる時
     は問題はない。入手確保が容易ではなくなった時、従来
     の爆弾製造工程は根本から変更を余儀なくされるのであ
     る。
               105P
      
    (ウ) 白色火薬への移行
      『バラの詩』をみれば黒色火薬の他に様々な爆薬の種
     類が紹介されている。(本件爆弾の主たる問題となるセ
     ジットも「シェジット」として紹介されている。)後の
     『腹腹時計』も「黒色火薬以外の火薬の製造方法につい
     ても『バラの詩』等に譲る。」と記載している程である。
     いわゆる白色火薬については、前記の「塩剥黒色火薬」
     と同じく塩素酸塩爆薬の一種としている。その混合比率
     は塩素酸カリウム又はソーダ(塩素酸ナトリウム)五〇
     〜四九パーセント、砂糖二五〜二三パーセント、黄血塩
     二五〜二八パーセントである。そして性能として「威力
     の大きい良好な爆薬である」と説明している。勿論請求
     人両名はこの『バラの詩』をみていた。しかし、総持寺
     事件の結末がなければ白色火薬への移行はなかったので
     ある。
      この点について請求人大道寺は控訴審において次のよ
               106P
      
     うに供述している(八回公判)。
      「その火薬を(白色火薬―引用者)替えた理由という
      のはどういうことですか。」
      「本、文献などによると、黒色火薬よりも白色火薬の
      ほうがなんか威力が強いような感じを受けたことがあ
      るんです。それが一番大きな理由ですね。それから当
      時フェロシアン化カリウムというか、いわゆる黄血塩
      というのは簡単に手に入れ易かったことがあるんです
      ね。そういうことが二つ目。それからこれは大した理
      由じゃないんですけど、総持寺の爆破の結果というの
      は我々にとってはあまりいい結果ではなかったんです
      ね。それで黒色火薬から白色火薬に替えてみようとい
      うようなことも一つの理由になっているんです。」
      白色火薬を室内で燃焼実験したのち、風雪の群像事件
     の爆弾の一部に使用した。しかし請求人両名らは、この
     北方文化研究施設、風雪の群像事件において従来『バラ
               107P
      
     の詩』等には記載・紹介されていない火薬(爆薬)を製
     造した。塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パ
     ーセント、硫黄一〇パーセントを混合したものである。
     理論的には『バラの詩』の塩剥黒色火薬の木炭を砂糖に
     代用させたものである。請求人益永によれば「火薬を作
     る手問から言えば炭粉を扱う手間というのは非常に面倒
     なんです。けれどもその点砂糖は楽ですから作りやすい
     という利点はありました」(六六回公判)というのが砂
     糖に代替した動機である。砂糖代用爆薬は北方文化研究
     施設事件の爆弾の全部に、そして風雪の群像事件の爆弾
     の主たる爆薬として使用された。その結果は「情報(ラ
     ジオの報道―引用者)によると風雪の群像はほぼ破壊で
     きたけれど北大の方は陳列ケースのガラスにひびが入り
     資科の一部が焼けた程度でありました。」(請求人益永、
     七月三日付(三九丁目))
      従来の黒色火薬ではない、この二個の爆弾について請
               108P
      
     求人益永は次のように評価している(六六回公判)。
      「風雪のほうは黄血塩と砂糖を使ったということが非
      常によかったんじゃないか、黄血塩が還元材(剤)と
      して硫黄よりも格段に勝れていたんじゃないか」
      「北大の場合は新聞報道で見たんですけど最初にボン
      といって破裂してそれで警備員が駆け上がってみたら
      炎を吹き出して燃えていたという状態で、ちょっと爆
      発した状況じゃなかったわけです。窓ガラスも割れな
      かったという状況でしたから同じ量をもし黒色火薬で
      やっていたらもっといったんじやないかと思ったわけ
      です。」
      ここから、黄血塩を混合する白色火薬に対する高い評
     価と、砂糖代用爆薬(塩素酸ナトリウム、砂糖、硫黄)は
     黒色火薬よりも劣るという評価が請求人両名の認識体系
     に固定することになった。
    (2) 『腹腹時計』の出版
               109P
      
     請求人両名らは、興亜観音等事件の「七士之碑」と「風
    雪の群像」によって塩素酸カリウムを酸化剤とする黒色火
    薬、黄血塩を混合する白色火薬の威力を習得することはで
    きたが、塩素酸ナトリウムの威力については半信半疑で
    あった。そこで昭和四八年一〇月末から一二月中旬にかけ
    て奥多摩上流で塩素酸ナトリウムを酸化剤とする実験を
    行った。「缶体は鉄パイプ三本、コーラ缶二本でありまし
    た。いずれも塩素酸ナトリウムと硫黄及び活性炭もしくは
    砂糖を混合し起爆装置としてガスヒーターを使いました。」
    (請求人大道寺、五月二六日付、(三丁目))
     記念碑爆破と右実験(昭和四八年一〇月〜一二月)の総
    括が『腹腹時計』の記載内容である。「過去われわれはい
    くつかの非合法関係文書、爆弾のテキストを共有し、大い
    に参考にしてきた。『バラの詩』、『ゲリラ戦教程』、『栄養
    分折表』、新しいビタミン療法』など。しかしこれらのテ
    キストは、われわれはが今日実際に活用するには、いくつ
               110P
     
    かの問題をはらんでいるものでもある。…それらのテキス
    トを復刻、翻訳紹介した人たちがどれ程確信をもって(つ
    まり実験などを繰り返して)いたのか疑問だということで
    ある。」と請求人両名らは相当の自負をもって出版した。
     しかし爆弾闘争の技術面の本体である爆薬については結
    局数項目が記載されているにすぎない。『バラの詩』の黒
    色火薬を前提にして「木炭が間に合わない時は砂塘で代用
    できる」(一六頁)としてその混合比率を明示したことで
    ある(「混合比は酸化剤 = 60%、砂糖 = 30%、硫黄
    =10%」)。また、塩素酸カリウムを酸化剤とする爆薬に
    ついては右の砂糖代用爆薬との併用を勧める(二八頁)程
    であるが、塩素酸ナトリウムと塩素酸カリウムの威力の差
    異が歴然と認識されてしまった。請求人両名の塩素酸カリ
    ウムに対する威力認識は「七士之碑」「風雪の群像」の実
    験の実体験を起因としていたから「塩カリ信仰」というべ
    きものにまで増幅された。
              111P
     
     たとえば請求人益永は次のように公判廷(六六回公判)
    において供述している。
     「例えば塩素酸カリウムと塩素酸ナトリウムのそれぞれ
     を主体にしてそれを六〇パーセント、砂糖三〇パーセン
     ト、硫黄一〇パーセントという火薬を二種類作ったとし
     ます。それを少量燃焼用の皿に乗せて火を近づけた場合
     に、塩素酸カリウムの場合は爆発的に燃える、つまりボッ
     と燃える。それに対して塩素酸ナトリウムの場合はシュ
     ーと花火のように燃え続けるということではっきり鋭敏
     さというか、それが爆速につながってくると思うんです
     けど、威力が格段に違うなと感じていたわけです。」
     しかし塩素酸ナトリウムが塩素酸カリウムに対して威力
     が劣るとは、化学的には全く根拠のないことである。
    (3) セジットの発見
     請求人両名らにしても「セジット」の存在自体を知識と
    して知らなかったわけではない。請求人大道寺は「セジッ
             112P
    
    ト爆薬というのがあるというのはかなり早い段階からわ
    かっていたんです。いわゆる塩素酸塩系の爆薬の一種に、
    例えば黒色火薬や白色火薬と一緒にセジットという爆薬が
    あることはわかっていた」(控訴審八回公判)のである。
    『バラの詩』にも『火薬技術者必携』(昭和五二年押三一号の
    80)にも紹介されている。もっとも『火薬技術者必携』で
    は「シェジット」と発音されていた(請求人益永は「セ
    ジット」と「シェジット」の同一性を逮浦前は知らなかっ
    た(六六回公判)。)。
     しかしその紹介されていた内容が重要である。『バラの
    詩』では爆薬の混合組成は塩素酸カリウム又はソーダ(塩
    素酸ナトリウム)、ニトロナフタリン、又はジニトロナフ
    タリン、ひまし油である。その説明として「塩素酸塩に少
    量のニトロ化合物を加えたものは強力な爆薬である。モノ
    ニトロ又はジニトロ化合物が少量入手できれば作れる。」
    と紹介しニトロ化合物を混合することを前提としていた。
             113P
    
    請求人益永が散見した『火薬技術者必携』でも「80℃前後
    に加温されたヒマシ油にニトロ化合物を加え約55℃に冷却
    してから乾燥粉砕した塩素酸カリウムを加えて混合し冷却
    し成形して紙筒につめる。」と製法を説明し、「ニトロ化合
    物を含むヒマシ油を加えてつくられるので、その製造中比
    較的に危険性が少ないが、爆力がかなり強い。」と性能を
    説明している(この記載内容を判決がバインダーメモとし
    て請求人両名の威力認識の有力な根拠としていることは既
    に述べたとおりである。)。これもニトロ化合物を混合する
    ことを前提としている。請求人両名らが「セジット」を実
    際に製造するには余りにほど遠い存在であった。請求人益
    永によれば「その成分が塩素酸ナトリウムではなくて塩素
    酸カリを主体にしてそれにニトロ化合物を混合した爆薬
    だったわけです。ニトロ化合物はわれわれ手に入りません
    し塩素酸カリも非常に手に入りにくいということで私達の
    興味はひかなかった」(六六回公判)のである。
             114P
    
     セジットを再発見し開発・実験することになった契機は
    全く単純なことであった。それまでの爆弾製造工程が困難
    になったからである。その理由は爆薬材科の入手困難に
    あった。第一に、塩素酸カリウムについて「われわれの実
    験からいえば塩素酸カリを主体として作る手製火薬が一番
    いいというように思っていたんですが、警察の規制がきび
    しくなって手に入らないという状況が出てき」た(請求人
    益永、六六回公判)のであり、第二に硫黄について、黒色
    火薬に混合する材料として、また北方文化研究施設、風雪の
    群像事件の爆薬(塩素酸ナトリウム、砂糖、硫黄)に混合
    する材料として重要な位置にあったが「塩素酸カリの入手
    が難しくなっていたのと同様に硫黄の入手の規制もかなり
    きびしくなっていた」(右同)のであり(請求人大道寺、六
    月一四日付(四丁目))、第三に、黄血塩について「非常に
    高価なわけですし、ふつうよく使われるものではなくて定
    性分析に使う試薬として用いられるようなものですから、
             115P
    
    入手はあまり楽じゃな」(右同)かったのである。
     当時、入手が容易に確保されていた林料は塩素酸ナトリ
    ウムであったから、これを酸化剤として工夫する他なかっ
    た。請求人益永が偶々書店で手にした『火薬と発破』(昭
    和五二年押一号の82)六八頁に注目すべき一覧表(塩素酸
    塩爆薬の組成の)が記載してあった。その一覧表の中に、
    「セジットS」として塩素酸ソーダ(塩素酸ナトリウム)
    九〇パーセント、ワセリン三パーセント、パラフィン七パ
    ーセントという混合比率が紹介されていた。請求人益永は
    「これはすべて手に入りやすいものだと思って注目しまし
    て、その本をすぐ買ってよく読」(六六回公判)んだ。「威
    力についてはSタイプについては記載がなくて成分から見
    るとおそらく一番いい部類に属する〇二タイプというふう
    な記載のあるセジットの爆速は記載されていました。それ
    はたしか三OOOメートルから四OOOメートルの爆速で
    した。私はそれを見て、成分が〇二タイプの場合は塩素酸
             116P
    
    カリが主体でそれにニトロ化合物を混合してあるというも
    のでして、それから比較するとSタイプというのは塩素酸
    ナトリウムと油脂を混ぜただけなんですね。これは当然威
    カが相当おちるんではないかと思」(右同)った。請求人
    大道寺も、請求人益永からセジットSの存在を教えられた。
    しかし「このセジット爆弾については私達はこれまで顔な
    じみはなくどれ位の威力があるか分からなかったので実験
    をしてみようということにな」(請求人大道寺、六月一四
    日付(五丁目〜六丁目))った。
     昭和四九年初頭の頃である。
(二)、 セジットの実験
   (1) 三月一七日の実験
   @ 準備
     大道寺あや子はセジットの製造方法について文献を探索
    した。『バラの詩』も『火薬技術者必携』もニトロ化合物
    の混合を前提としていたが、主に、右の『火薬技術者必携』
             117P
    
    の記載をバインダーに書き移した。しかしその時、「80℃
    前後に加温されたヒマシ油にニトロ化合物を加え約55℃に
    冷却してから乾燥粉砕した塩素酸カリウムを加えて冷却し
    形成して紙筒につめる」という記載のうち「冷却し」とい
    う工程を書き落した。
     実験の実施に至る時間的経過を「金銭出納帳」から追う
    と次のとおりである。
     二月二四日 大道寺あや子がパラフィン(六OO円)を
           購入
     三月四日  同人が器具類(二四八五円)、フラスコ(三
           五〇円)を購入
    三月一一日  同人が器具類(七五〇円)、フラスコ(二〇
           〇円)を購入
    三月一五日  同人が器具類(七五〇円)を購入
     大道寺あや子がセジットSを製造した。ワセリンとパラ
    フィンを加熱して溶かし、六〇度位まで冷やしたところで
             118P
    
    クサトールを混ぜた。そうすると「しめった土状のものが
    できます。 … しかし実験の時にはまだ温かく土状のもの
    を容器につめ、上から手で圧力を加えました。これを冷や
    すとろうそく状になりました。温かい土状のものをつめた
    時に起爆装置を入れる為にその中央部に鉛筆等を差しこん
    でおき冷えてろうそく状になった後でも穴ができてい」(六
    月一五日付(四丁目〜五丁目))た。大道寺あや子はバイ
    ンダーメモのとおり製造したがその工程が誤っていた。容
    器に充填する前に冷却してセジットを「ざらざらした」粒
    状にしなければならないところを容器に温かいまま充填し
    てから冷却したのである。缶体容器は清涼飲料水の缶を
    使った。請求人大道寺が請求人益永から金鋏を借りてきて
    缶の胴体部をギザギザにして二つに切り離した。そしてビ
    二ール袋に入れた温かいままのセジットSを缶に詰め切り
    離された二つを噛み合わせるようにして針金で胴体部を巻
    きつけた。
             119P
    
     缶体天板部の飲み口から点火装置のガスヒーターをとり
    つけた。点火装置をガスヒーターとした理由を請求人益永
    は次のように供述している(六六回公判)。
     「起爆装置については白色火薬の経験からいって同じ塩
    素酸塩系の混合比率ですからガスヒーターで点火しただけ
    でも爆発というか爆轟させられるのではないかというふう
    に思いました。」
   A 実施
     請求人両名らは三月一七日、奥多摩の倉沢で実験をした
    (「金銭出納帳」)。この日時は大道寺あや子の「大友荘に
    引越した昭和四九年三月二〇日頃より前であった」(六月
    一五日付(四丁目))という供述に付合する。
     結果は失敗であった。「起爆装置は作動して爆発したの
    でずが、セジットは爆発せず、火がついて燃えるというこ
    ともしなかった」(大道寺あや子六月一五日付(六丁目)。)
    缶体の噛み合わせ部分が離れ、セジットSそのものは固ま
             120P
    
    りのまま残ったのである。不爆の残滓物はそのまま埋めた。
   (2) 六月三〇日の実験
   @ 準備
     請求人両名らは実験失敗の原因を、セジットSの製造工
    程(形状)ではなく、点火装置の問題に求めた。「セジッ
    ト爆弾の起爆装置としてはガスヒーターは駄目であり、手
    製雷管を使えばセジットも爆発するのではないかというこ
    とになり狼で手製雷管を作ろうということになり研究や実
    験をするようになったのです。…手製雷管に使う雷汞等の
    作り方は『バラの詩』を見て一応知っておりましたが私は
    実験化学講座等の文献を見るなどして研究しました。」(大
    道寺あや子、六月一五日付(六丁目))大道寺あや子が雷
    汞雷管についてバインダーにメモしたのは、大友荘に引越
    した後の昭和四九年三月下旬から四月にかけてである。
     実験の実施に至る時間的経過を「金銭出納帳」から追う
    と次のとおりである。
             121P
    
     四月 三〇日 請求人益永は町屋の小林荘一〇二号を貸
            借する。その費用として一七万二OOO
            円。
     五月  一日 請求人益永は右居室に電話をつける。そ
            の費用として五万五OOO円。
     請求人両名らは「武装工場」として外部に音がもれない
    アパートを必要としたのである。
     五月三〜五日 請求人両名、大道寺あや子、佐々木規夫
            の四名が秩父浦山口で合宿をする。
     「狼」グループのメンバーに変動があった。荒井なほ子
    が退き、佐々木規夫が新たに参加した。右佐々木を含めて
    後の虹作戦の決行について意志確認するための合宿であっ
    た(請求人大道寺六月二五日付(二丁目〜一二丁目)、請
    求人益永、一一月七日付(五丁目〜六丁目))。
     大道寺あや子は五月から薬品会社(武藤化学薬品)に勤務
    する。その目的は「一般には手に入りにくい薬品を手に入
             122P
    
    れる」ためであり、「一般に手に入りにくい薬品で武藤化
    学薬品からこれ迄に持出した薬品は雷管に使うピクリン酸
    と雷管の点火装置の部分や爆弾の爆薬に使う塩素酸カリ
    …」(大道寺あや子六月二〇日付(一丁目〜二丁目))で
    ある。
     五月一二日 請求人益永が「工場」設備のためのベニヤ
           板等(一万三OOO円)を購入
     六月 八日 大道寺あや子がパラフィン九・四キロ(一
           八八〇円)を購入
     六月頃から雷汞雷管の製造にとりかかった。
     六月 九日 請求人益永がエキセントリックプレス機
           (一万二OOO円)を購入。なお、卓上旋
           盤(ユニマット)は改造銃製作の目的で既
           に購入し、使用していた。
     六月一三日 大道寺あや子が、デシケータ(二四五〇
           円)、ブフナーロート一式(一八五〇円)、
             123P
    
           その他器具類一一七〇円)を購入
     六月一五日 同人が水銀一キロ(三八OO円)、器具類
           (三〇九〇円)、材料(一九一〇円)を購入
     六月一九日 請求人大道寺、スバル一OOO(七万円)
           を購入し、そのために自動車保険代(一万
           三五OO円)を支払った。
     六月二〇日  同人が右スバル一OOOの駐車料三ヶ月分
           三万六OOO円)を支払った。
     六月二四日 大道寺あや子が、ワセリン二個(一OOO
           円)を購入
     セジットSの製造工程は前回と全く同様であり、そして
    温かいまま缶体容器に詰めた。缶体としてピース缶を使っ
    た。三月実験の際の清涼飲科水の缶は噛み合わせた部分が
    ガスヒーターの点火によって離れてしまったからである。
     雷汞雷管をとりつけるため、ピース缶の蓋に穴をあけ、
    そこから雷管のリード線を出すようにした。
             124P
    
   A 実施
     請求人両名、大道寺あや子、佐々木規夫の四名は、六月三
    〇日、青木ヶ原で実験をした(「金銭出納帳」)。青木ヶ原
    までスバル一OOOを使ったのでガソリン代として二七O
    〇円を要した。
     ところで雷汞雷管を完成させる際、プレス機による加圧
    を必要とする。雷汞は敏感な物質であるため管体に詰めた
    後安定させなければならない。大道寺あや子のバインダー
    メモによれば「圧力をかけて圧縮したものは感度が鈍くな
    り安定度が増す。普通は1cm2につき1tの圧力をかける」
    と記載されている。屋内でのこの加圧作業は初めての体験
    であったため危険な作業と思われ戸外ですることにした。
    そこでエキセントリックプレス機と精製水に入れたままの
    雷汞を青木ヶ原まで運んだ。雨天であったので簡易テント
    を張って作業を開姶した。雷汞を精製水からとり出して乾
    燥させて管体に詰め右プレス機で加圧した。
             125P
    
     しかし雨天であったため乾燥が十分ではなかった。右プ
    レス機で加圧した時水がにじみ出た。セジットSの固まり
    に予め作っておいた穴に雷汞雷管を差し込みピース缶の天
    地を針金で巻きつけた。
     結果は失敗であった。雷管は点火し作動したがそれでも
    セジットSは爆発しなかった。ピース缶の蓋がとんでセ
    ジットSは辺りに飛散し、またピース缶にへばりつくよう
    に残った。不爆の残滓物をそのまま埋めた。
   (3) 七月二八日の実験
   @ 準備
     請求人らはセジットSが爆発しなかった原因が製造工程
    にあることに気付かなかった。依然として雷管に問題があ
    ると考えていた。請求人益永によれば「雷管なしに爆ごう
    する爆薬というのはむしろ文献上にまれなわけです。私達
    の経験からいってたまたま白色火薬(北方文化研究施設事
    件の爆弾である―引用者)はガスヒーターでも爆破させる
             126P
    
    ことができた」が「それ以外のふつう工業爆薬と呼ばれて
    いるダイナマイトにしろアンフォにしろこれはすべて雷管
    を使わない限り爆発しない」(六六回公判)のであるから
    失敗の原因を雷管に求めたのも当然であった。青木ケ原で
    の雷汞加圧作業の際雷汞から水がにじみ出るようなもので
    あったため雷管の性能に問題があると思っていた。そこで
    再度雷管の実験をすることにしたが、いわゆる虹作戦を前
    提にした本番さながらの実験を行うことにした。それを
    「金銭出納帳」から追うと次のとおりである。
     六月一六日 佐々木規夫がザィル(九七OO円)を購入
           (荒川鉄橋の橋脚部分への電線敷設のため)
     七月 六日 請求人大道寺が電線九OOメートル(三九
           六OO円)、発破器用乾電池(二六OO円)
           を購入
     七月 七日 同人がトランシーバー用乾電池(一二五〇
           円)、テスター(八九OO円)、コード(三
             127P
    
           OO円)を購入
     七月一一日 同人がコネクター(九二〇円)を購入
     七月二一日 大道寺あや子が精製水(五OO円)
           を購入
     七月一三日 請求人両名ら四名が奥多摩倉沢で実験をし
           た。
     この実験の目的は九OOメートルもの電線の先端部につ
    けた雷汞雷管が爆発するかどうかを試すことにあった。雷
    汞は大道寺あや子が製造し、精製水の中に入れておいた。
    雷汞の加圧作業は一度経験したので屋内ですることにした
    が、水がにじみ出るようなことがないように十分に乾燥さ
    せた。六月三〇日の実験は青木ヶ原での雷汞の乾燥度に問
    題があると考えていたからである。発破器、コネクターを
    とりつける作業は請求人大道寺がした。
     雷管は爆発した。請求人益永によれば「(電線を)全部継
    ぎ合わせ、先端部に電気雷管を付けて二五〇ボルトの電池
             128P
    
    と大道寺が作った発破器を使ってテストしたところ雷管は
    問違いなく爆発したので、この長さでもコードの抵抗に
    よって電圧がさがり雷管が爆発しないような事態にならな
    ことを確認し」(二月八日付(一三丁目〜一四丁目))
    たのである。
     雷汞雷管の爆発が確認できたので、請求人両名らは再度
    セジットS爆発の実験を実施することにした。実施までの
    時間的経過を「金銭出納帳」から追うと次のとおりである。
     七月一三日 請求人益永がニクロム線(二八六三円)を
           購入
     七月一五日 佐々木規夫が縄ばしご(一万六OOO円)
           を購入
     七月一六日 請求人大道寺が金属コネクター八個(五二
           OO円)、懐中電灯(三六OO円)を購入
     七月二〇日 大道寺あや子が水銀一キロ三八OO円)
           を購入
             129P
    
     七月二四日 請求人大道寺がタバコケース(発破用電源
           を収納するため一六OO円)、小型ドライ
           バーセット(六OO円)、マイクロスウィッ
           チ(四二〇円)を購入
     七月二七日 スバル一OOOの維持経費として、同人が
           六OOO円余を支出している。
     セジットSの製造工程は従来と全く同じであり温かいま
    ま缶体容器に詰めた。缶体として再度ピース缶を使った。
    前回(六月三〇日)の実験では雷汞雷管の性能に問題があ
    ると思っていたから缶体容器はピース缶で十分であると考
    えた。雷汞雷管は特に慎重に製造された。精製水からとり
    出した雷汞は十分に乾燥させてから、プレス機で加圧した。
    雷管をとりつける構造は前回と全く同じであった。
   A 実施
     請求人両名、大道寺あや子、佐々木規夫ら四名は七月二
    八日、青木ヶ原でセジット爆発の実験をした(「金銭出納
             130P
    
    帳」)。青木ヶ原まではスバル一OOOを使ったのでガソリ
    ン代二四五〇円を要した。
     七月一三日の奥多摩倉沢の実験を受けて、電線(九OOメ
    トル)をとりつけてセジットSを爆発させることにした。
    実験の結果は失敗であった。雷管自体はカン高い金属音を
    発して破裂したがセジットSは爆発しなかった。
     請求人益永によれば「雷管は粉々になりました。しかし
    セジットのほうは前回、前々回と同じで完全に燃え残って
    しまいました。雷管がそれまでのガスヒーターと比べれば
    当然大きな爆発力になるわけですから…ふたが飛んだとい
    うことではなくて、ピース缶だと継ぎ目から裂けるという
    ふうな状態でしたけれどもセジット自体は大部分燃え残っ
    てしまうという状態」(六六回公判)であった。
     請求人両名らはセジットSが果たして文献に紹介されて
    いるとおり爆薬(火薬)であるのかについて懐疑的になら
    ざるをえなかった。そしてこの懐疑は燃え残ったセジット
             131P
    
    Sにマッチの火をつけても燃えなかったことによって決定
    的となった。請求人益永によれば「燃え残ったものをその
    ままにしておくわけにもいかなかったんで、ちょっとその
    場でもう一度燃してみようということになったんです。
    ちょっと危険というか冒険でしたけどもマッチの炎で燃え
    残ったセジットに着火してみたわけですね。最初は恐る恐
    るやったんですけれども、火を近付けた瞬間はセジットは
    シュルシュルと燃えるということなんですけれども炎を離
    してしまうとスッと消えてしまうと。これは何度やっても
    同じ」(六六回公判)ことであった。請求人両名らがそれ
    まで製造した爆薬(火薬)の燃焼実験において燃え残ると
    いう爆薬(火薬)の体験がなかった。北方文化研究施設、
    風雪の群像事件においてはじめて黒色火薬以外の爆薬を製
    造したが塩素酸カリウムを酸化剤とするいわゆる白色火薬
    (砂糖、黄血塩を混合する。)も塩素酸ナトリウムを酸化剤
    とする砂糖代用爆薬(砂糖、硫黄を混合する。)も、いず
              132P
     
    れも燃焼実験において、燃焼していた。それに対してセ
    ジットSがマッチの炎では燃焼しないことは化学的には当
    然のことである。ロウソクのロウの部分に火をつけても燃
    えないことと全く同じ現象である。しかし請求人両名らは
    セジットSが燃焼しない物理的・化学的分析ができなかっ
    たし、その心理的余裕ももち合わせていなかった。
     この七月二八日(セジット爆発実験の三回目)の段階に
    おいても請求人両名はセジットS不爆の物理的・化学的原
    因が全くわからなかった。不爆の原因は缶体容器あるいは
    点火(起爆)装置にあるのではなく、爆弾本体であるセ
    ジットS爆薬の製造工程(それと関連する充填方法)そのも
    のに存したのである。セジットSの製造工程は大道寺あや
    子が『火薬技術者必携』のセジット「製法」を不正確に書
    き移したまま、それに従っていたし、それを疑うことは全
    くなかった。請求人両名らはそれまでセジットSは勿論の
    こと「セジット」と称する爆薬の形状はみたことがなかっ
             133P
    
    たからである。
 2、 本件爆弾の製造及び設置に至る経緯
 (一)、 製造に至る経緯
   (1) 製造に至る決意
     七月二八日の実験は失敗であった。セジットSは爆発せ
    ず、しかも請求人両名らは不爆の原因がわからないままで
    あった。しかし、請求人両名らは本件爆弾の製造を放棄す
    ることはできなかったのである。それは請求人両名らの心
    理構造が本件爆弾の本来の使用目的であるいわゆる虹作戦
    に決定的に規定されていたからである。
     虹作戦が爆弾事件において、唯一、特異な点は、爆破方
    法ではなく、爆破の日時にある。八月一四日午前一一時頃
    という日時が作戦実行の絶対的制約であり、“別の機会”
    という代替性が困難であった。五月初句の浦山口(秩父)
    での合宿において虹作戦の基本的内容が請求人両名ら四名
    の間で意志確認された。その後請求人大道寺が「新聞や皇
             134P
    
    室関係の事が書かれた雑誌など相当多数を調べて例年避暑
    先の那須から天皇が帰る際黒磯の駅を何時に出発し原宿の
    駅に何時に着いているかを調べ上げ黒磯駅から荒川鉄橋ま
    での所要時間を計算してだいたい午前一一時前後ころと出
    した」(六月二五日付(一五丁目〜一六丁目))のである。
    この調査結果に基いて請求人両名ら四名は作戦実行への準
    備を進めていた。八月一四日午前一一時という日時までに
    全てが完了していなければならなかった。従って請求人四
    名らの行動はこの絶対的日時に逆算的に規定されたので
    あった。七月二八日の実験失敗の物理的・化学的原因をつ
    きとめてから爆弾製造を準備する時間的余裕は全くなかっ
    た。また爆弾製造を放棄する決断もできなかった。八月一
    四日午前一一時までに間に合わせなければならないという
    焦燥感のみが請求人らを支配した。従って本件爆弾の威力
    を事前に推測し、爆弾の構造を決定したのではなかった。
    とにかく爆弾を作りあげることに請求人両名らは腐心し
             135P
    
    た。実際、本件爆弾に詰めることになったセジットSとい
    わゆる白色火薬(オージャンドル)の混合物の燃焼実験を
    全くしていない。七月二八日以後の請求人両名らの行動を
    「金銭出納帳」から追ってみると次のとおりである。
     七月二九日 請求人益永が精製水(一二OO円)を購入
     八月 一日 請求人大道寺がコネクター三個(一九五〇
           円)、電線二〇メートル(八OO円)を、
           大道寺あや子がエタノール(一八OO円)
           を購入
     八月 三日 請求人益永がガソリンタンク二個(三五〇
           〇円)、スプレー(六五〇円)、黄血塩四本
           (四四OO円)等を購入
     八月 四日 大道寺あや子が交通費(一三七〇円)を支
           出。請求人大道寺がペール缶二個(五OO
           〇円)、コネクター(七OO円)を購入
     八月 五日 大道寺あや子が砂糖六袋(一三八六円)を
             136P
    
           購入
     八月 六日 請求人大道寺が砂糖五袋(一二五〇円)を、
           大道寺あや子が乾燥剤二個(五OO円)を
           購入
     八月一〇日 大道寺あや子がポリ製たらい(一五OO
           円)を、請求人益永がテープレコダー(二
           万円)、ペンキ(九OO円)を購入
     右の経過をみると、請求人両名らは実験失敗の翌日から
    爆弾製造の準備作業にとりかかっていることが明らかであ
    る。実験失敗の原因をつきとめようとしていることをうか
    がわせるものが全くない。殊に八月四日、大道寺あや子は
    交通費(一二七〇円)を出費しているがこれは黒磯に行っ
    た旅費を意味する。その目的は「八月一四日当日あや子さ
    んが黒磯駅へ行って御召列車の出発を確認しその出発時間
    等を大道寺に電話で知らせる計画にしていたので、当日あ
    や子さんがどこで出発を確認しどこから電話をかけ、どう
             137P
    
    ゆう経路で帰って来るか確かめておくため」(請求人益永、
    一一月八日付(二二丁目))であり、そのための下見であっ
    た。しかし、セジットS爆発実験の失敗は黒磯以前の前提
    問題のはずである。その前提問題を解決しないで作戦実行
    の準備を先行させることは、八月一四日という日時に迫ら
    れた請求人両名らの焦燥感を物語る以外の何物でもない。
   (2) ペール缶購入の経緯
     七月二八日の実験が失敗して八月三日に請求人益永がガ
    ソリンタンク二個を購入している。その際同人はそのタン
    クを売っている店の主人をスバル一OOOに同乗させてタ
    ンクが置いてある現場まで同行した。そこで「車のナンバ
    ーやその他の特徴、あるいは私の人相等覚えられたおそれ
    があったので大道寺にはその旨話して、このタンクは爆弾
    に使わないことにし」(請求人益永、一一月八日付(一七
    丁目〜一八丁目))た。そして急遽、翌四日、いわゆるペー
    ル缶二個を購入することにした。それが本件爆弾の缶体で
             138P
    
    ある。
     ところで、前者のガソリンタンク二個と後者のペール缶
    二個とはその形伏からしても一見して構造の異なるもので
    ある(請求人大道寺、二月六日付調書添付写真No.1と、
    昭和五〇年四月一七日付鑑定書(甲二24)添付写真参照)。
    缶体の構造と爆発威力の関係を実験した結果、ガソリンタ
    ンクからペール缶に替えたわけでは全くない。単なる偶然
    的事情からペール缶に替えているにすぎなかった。請求人
    両名らによればガソリンタンクでもペール缶でも、更にな
    んでもよかったのである。セジットS爆発実験の失敗原因
    を物理的・化学的に分析してそこから爆弾の構造、従って
    缶体の構造を割り出してペール缶を選定したのではなかっ
    た。全ては八月一四日に間に合わせなければならなかった。
(二)、製造工程
    請求人両名らは八月一〇日、翌一一日に本件爆弾を製造し
   た。土曜日と日曜日に該る。請求人両名ら四名はいずれも会
             139P
   
   社に勤務していたので平日の日中、製造作業をすることは休
   暇をとらない限り不可能であった。平日、勤務後(タ刻)か
   ら作業を始めるには余りに時間が足りなかった。従って必然
   的に時間的余裕のある土曜日曜日を利用する他なかった。そ
   して「火薬および爆弾はできるだけ使用直前に作り、長期保
   存はしないこと」(『腹腹時計』二八頁)が原則であったから、
   八月一四日に最直近の土曜日曜日が製造日と決った。逆算的
   にいえば、八月一〇日、一一日の製造作業のために、その準
   備を間に合わせなければならなかったのである。
    請求人両名、大道寺あや子の三名が大友荘で本件爆弾を製
   造した。佐々木規夫は製造に関与しなかった。
   (1) 爆薬の製造
    @ 爆薬の種類
     七月二八日の実験失敗の後、虹作戦実行のために爆薬の
    種類を研究し吟味している余裕は全くなかった。第一に、
    請求人両名らは八月一四日に切迫していたのであるから心
             140P
    
    理的にもそのような余裕はなかった。第二に請求人両名ら
    が所持確保していた材科が限られていたからである。爆薬
    の酸化剤は塩素酸ナトリウムにする他なかった。塩素酸カ
    リウムの入手は困難であった。購入による方法は法的規制
    が厳しかったし、大道寺あや子が勤務先から持出す方法も
    量的に限られていた。その点塩素酸ナトリウムの入手は比
    較的容易であったし量的にも確保することができた。『腹腹
    時計』がわざわざ除草剤(塩素酸ナトリウム)入手の際の
    心構えを記載し(一五頁)ていた程であるし、逆に、塩素
    酸カリウムの製造を「続編予告」していた。
     塩素酸ナトリウムを酸化剤とする爆薬としては、請求人
    両名らが製造した経験のあるものは、砂糖、硫黄の混合で
    ある。これは塩素酸ナトリウムあるいは塩素酸カリウムを
    酸化剤とし、木炭(炭粉)、硫黄を混合するいわゆる黒色
    火薬(塩剥黒色火薬)を木炭の替りに砂糖を代用させたも
    のである。北方文化研究施設、風雪の群像事件の爆弾に実
             141P
    
    際に使用された。更に『腹腹時計』の出版に際して実験が
    操返され(昭和四八年一〇月から二一月にかけての奥多摩
    実験)塩素酸ナトリウム(酸化剤)六〇パーセント、砂糖
    三〇パーセント、硫黄一〇パーセントの混合比率が確認さ
    れた。この砂糖代用爆薬の場合は、請求人両名らは硫黄を
    不可欠の材料と考えていた。しかし請求人両名らは八月一
    〇日の時点において硫黄はほとんど所持していなかった。
    「金銭出納帳」をみても硫黄を購入した事実はないし(黄血
    塩(フェロシアン化カリウム)は八月三日に購入してい
    る。)、大道寺あや子が勤務先から持出した事実もない。大
    道寺あや子が六月一九日調書(甲一10)で「この爆弾の製
    造には硫黄は五OOグラム入りのもの三箱を使用したほか
    に若干量を使ったという記憶がありますので硫黄の消費量
    を一・六キロ又は一・七キロ」(九丁目)と供述するのは
    全く根拠のないことである。硫黄をこの時点において一・
    六キロないし一・七キロも所持していたのであれば、硫黄
             142P
    
    を材料としない爆薬―セジットSの開発に請求人両名らが
    血眼になり、七月二八日まで二回の爆発実験に全力を投入
    する必要性は凡そなかったのである。
     そうすると塩素酸ナトリウムを酸化剤とする爆薬はセ
    ジットSしかなかった。請求人両名らにとって爆薬の種類
    を選択している余地は全くなかった。七月二八日の爆発実
    験においても失敗したセジットSを製造し缶体に詰める他
    なかったのである。
     請求人益永は次のように公判廷において供述する(六六
    回公判)。
     「これだけ失敗しているわけですけれどもあなた方は失
     敗しながらもセジットについて信用していたというふう
     になるんですか。」
     「信用するとか信用しないとかいう以前の問題として私
     たちの場合はとにかく塩素酸カリが手に入らないという
     ことでもちろんそれ以外の構成物の爆薬は手に入らない
             143P
    
     ということがありましたから、とにかくこのセジットを
     使う以外に天皇に対する攻撃を可能にする方法はなかっ
     たわけです。だめでもこれを使う以外ないと。とにかく
     当時の薬品のストックというのが規定されていましたか
     らこのセジットを使う以外にない、これでやってみるし
     かないという状態でした。」
     請求人両名らはセジットSを虹作戦に使用することにし
    たが、単にセジットSのみではそれまでの実験と同じ結果
    になることが十分に予想された。そこで、北方文化研究施
    設、風雪の群像事件の結果をふまえて、いわゆる白色火薬
    (オージャンドル)も同時に充填することにした。北方文
    化研究施設、風雪の群像事件から、請求人両名らは塩素酸
    ナトリウムを酸化剤とする砂糖代用爆薬といわゆる白色火
    薬(塩素酸カリウム、黄血塩、砂糖)の威力の差異を体験
    的に知っていた。北方文化研究施設の場合はほとんど「爆
    発」とはいえない結果であった。酸化剤である塩素酸ナト
             144P
    
    リウムの威力が弱いとの認識はそのままセジットSに対す
    る威力の認識となった。しかもセジットSには硫黄も混合
    されていなかったから、セジットSは北方文化研究施設事
    件の爆弾に比しても一層、威力の弱いものでしかなかった。
    実際、請求人両名の、セジットSに対する威力認識は七月
    二八日までの三回の実験失敗の結果が裏付けていたのであ
    る。そこでセジットSに対する不安感を解消する方法とし
    て請求人両名らは二つの面から考えた。一つはセジットS
    の量であった。しかし量をふやすという方法でも不安感は
    残った。実験失敗の原因が原理的に解明されていなかった
    からである。そこで、次に、他の種類の爆薬を充填する方
    法であった。他の種類の爆薬といっても、請求人両名らの
    体験からしていわゆる白色火薬(オージャンドル)しか知
    らなかった。風雪の群像事件の結果からして、本件爆弾の
    場合も、白色火薬だけは爆発すると予測したのである。請
    求人両名らは、セジットSと白色火薬を混在させた燃焼実
             145P
    
    験すら試みることなく、本件爆弾の製造にとりかかったの
    である。
   A セジットSの製造
     請求人両名らはセジットSの総量をふやすことにした。
    缶体容器を当初のガソリンタンクからペール缶に代えたの
    も、請求人両名らが缶体の構造よりも缶体の容積しか念頭
    になかったからである。しかしペール缶(約二〇リットル)
    に詰めるセジットSを一度に製造することは困難であった
    から回数を重ねて製造する他なかった。そのため八月一〇
    日当日、大道寺あや子がポリ製のたらいを一五OO円で購
    入してきた(「金銭出納帳」)。
     セジットSの製造は大道寺あや子が担当した。それまで
    の実験の時も製造していたからである。同人は実験の時と
    同様に、バインダーメモに従って製造した。セジットSの
    林料はクサトール(塩素酸ナトリウム)、パラフィン、ワ
    セリンであり、その混合比率は塩素酸ナトリウム九〇パー
             146P
    
    セント、パラフィン七パーセント、ワセリン三パーセント
    であった。その製造工程は「ワセリンとパラフィンを混ぜ
    て蒸発皿に入れ…八〇度位まで加熱するとどろどろに溶け
    ますので、それを五五度から六〇度位まで冷やしたところ
    で塩素酸ナトリウムを加えて混ぜ」(大道寺あや子、六月
    一五日付(四丁目))るというものである。この製造工程
    に従った。先ず、「パラフィンは板状になっていた物を包
    丁で切り…上皿天秤で計」った。「ワセリンについては油
    紙の上にサジかヘラで取出して計」った。そして「直径四
    〇センチ位のアルマイトの洗いおけのような物に計ったパ
    ラフィンとワセリンを入れ台所のガスにかけて溶かしまし
    た。そして溶けた後、これを火から降ろし、パラフィンな
    どが溶けている中に塩素酸ナトリウムを入れて…かき混ぜ
    ました。」(請求人大道寺、六月一四日付三一丁目〜三二
    丁目))かき混ぜると「しめった土状のもの」(大道寺あや
    子、六月一五日付(四丁目))ができあがる。実験の時は
             147P
    
    三回とも「しめった土状のもの」をまだ温かいまま缶体容
    器に詰めていた。大道寺あや子のバインダーメモには「冷
    やす」という工程が書き落とされていたし、請求人益永に
    よれば「できるだけしっかり固まってるほうが密度が高い
    し、爆発しやすいし威力もある」(六六回公判)と考えて
    いたのである。しかし本件爆弾においては、塩素酸ナトリ
    ウムをかき混ぜてからの、最後の工程が違っていたのであ
    る。それは缶体であるペール缶には温かいまま詰めること
    が不都合であったからである。ペール缶が口金の形態では
    なく、蓋の形態であれば温かいセジットSの固まりを詰め
    ることができたであろう。しかし口金の形態であったため
    に「放置して冷やし」てざらざらの状態にせざるをえな
    かったのである。結果的にセジットSは正確に製造された
    ことになった。
   B 白色火薬の製造
     請求人両名らはセジットSの他にいわゆる白色火薬も充
             148P
    
    填することにしたが、白色火薬も二種類製造することに
    なった。風雪の群像事件の時は塩素酸カリウム、黄血塩、
    砂糖の白色火薬を製造している。しかし林料の不足はこの
    点でも請求人両名らを制約した。塩素酸カリウムを酸化剤
    とする白色火薬(オージャンドル)は塩素酸カリウムの量
    に制約されてしまう。そこで、塩素酸ナトリウムを酸化剤
    とする白色火薬も製造することにした。『バラの詩』によ
    れば、白色火薬の酸化剤は塩素酸ナトリウムでも代替可能
    であったからである。塩素酸ナトリウムを酸化剤とすれば
    白色火薬の量をふやすことができ、それに比例して、黄血
    塩(二五パーセント)を必要とすることになる。八月四日
    の黄血塩四本の購入はそのためである。塩素酸カリウムの
    不足による不安(「塩カリ」信仰)をこの点でも塩素酸ナ
    トリウムの量で解消しようとしたのである。
   (2) 充填
   @ ペール缶
             149P
    
     請求人大道寺はペール缶にセジットS、白色火薬の爆薬
    を詰める前にペール缶の外側と内側に一定の塗装を施し
    た。「緑色のペール缶の外側を灰色のスプレーで塗り直し
    ました。…この後、私は二つのペール缶の内部をラッカー
    で塗っております。これは金属に直接爆薬があたると爆発
    するおそれがあったので塗ったものですが缶の口からラッ
    カーを流し込んでゆすぶり内部を塗るやり方をしました。」
    (請求人大道寺、六月一四日付(二九丁目〜三〇丁目))
   A 充填方法
     セジットSといわゆる白色火薬二種類の三種類の爆薬を
    混ぜないで別々に分けて詰めることにした。当初は請求人
    両名らはセジットSと白色火薬を製造段階から混合させる
    ことを考えていた。その間の経緯について請求人益永は
     「白色火薬を作るためには塩素酸カリウムとか黄血塩を
     使うわけですね。ところが私たち余りそれはストックが
     なかったんです。できるだけたくさん使いたかったけれ
             150P
    
     ども,余り量がないということでそれをもしセジットの中
     に均一に混合してしまうと力が分散してしまうという
     か、効き目が分散してしまうんじゃないか、というふう
     な気持になりまして、白色火薬だけはとにかく確実に爆
     発させ」(六六回公判)ようとしたのである。充填の順
    序は先ずセジットSである。パラフィン、ワセリンとクサ
    トールをアルマイトの中でかき混ぜ、放置して冷やしてか
    らポリ製たらいにセジットSを移した。アルマイト一回分
    の容量は約二キロであった。何回もセジットSを製造しな
    ければならなかったため、ポリ製たらいに移し、アルマイ
    トで新たなセジットSを製造した。同じ製造工程を繰り返
    していた。できあがったセジットSをペール缶の口金部分
    に紙の漏斗を作って詰めていった。請求人益永によれば
    「落とし込みやすいようによくほぐして入れたということ
    です。そういうふうに落とし込んでいく状態ですから漏斗
    の先から落ちていきますから、落としたセジットが富士さ
             151P
    
    んになっちゃうわけです。そのままではしょうがないんで
    紙を丸めて棒を作ってそれを缶の口から入れてちょっと押
    して平らにならす…ならしては詰め…というふうなことを
    繰り返していった」(六六回公判)その結果、「できるだけ
    固めたいというつもりがあったんですけれどもいくらやっ
    ても固まらないと。逆に紙で押すことによってつぶれてい
    くという状態」(同)であった。
     次に塩素酸ナトリウムの白色火薬をセジットSの上に詰
    めた。そして塩素酸カリウムの白色火薬を詰めて、塩素酸
    カリウムの白色火薬が爆薬総容積の中心部分になるように
    した。後半は逆に、塩素酸ナトリウムの白色火薬、セジッ
    トSの順序で前半と同様の方法で詰めていった。
     従ってペール缶の内部は三種類の爆薬が天と地に、塩素
    酸カリウムの白色火薬を中心に対称形に層状態を構成して
    いたのである。
   B 爆薬の量
             152P
    
     請求人両名及び大道寺あや子はセジットS、白色火薬の
    総量を二〇キログラムを目安としていた。ペール缶一缶が
    約二〇リットルであった。従って一リットル一キログラム
    がこれまでの爆弾製造の体験であったから二〇キログラム
    であった。二〇キログラムをセジットS、白色火薬二種類
    でいかに配合するかは、塩素酸カリウム、黄血塩の量で決
    定されたのである。塩素酸ナトリウム、砂糖の量は自由に
    確保できたからである。
     塩素酸カリウムは「当時入手が困難であまり多くを爆薬
    に使うことができず二OOグラムを使った」(大道寺あや
    子、六月一九日付(甲一10)(一〇丁目))だけであった。
    黄血塩は「以前から持っていたものの使い残りが二OOグ
    ラムか三OOグラム位あったと記憶しておりそれに新たに
    五OOグラム入りのもの四個計二キロを購入し、…(本件
    爆弾に)全部使ってしまった」(大道寺あや子、六月一九
    日付(甲一10)(七丁目〜八丁目))のであるから、二・二
             153P
    
    ないし二・三キロである。そうすると、白色火薬二種類の
    混合比率は、酸化剤五〇パーセント、黄血塩、砂糖が各二
    五パーセントであるから、白色火薬二種類の総量は単純計
    算して、ペール缶一缶当たり、四・四ないし四・六キログ
    ラムである。約五キログラム弱とすれば、セジットSの総
    量は約一五キログラム強である。
     総量約二〇キログラムの爆薬をアルマイト(二キログラ
    ムの容量)で約一〇回製造しては、ペール缶一缶に詰めた
    のである。最後のセジットSを詰め終わった時、ペール缶
    天板部分から約五センチの所に達した。請求人大道寺によ
    れば「ペール缶いっぱいに爆薬を詰めたのではなく上から
    五センチ位は空いていた」(六月一四日付(三五丁目))、更
    に、六月九日付(六丁目))のである。
  (3) 雷汞雷管の装填
    雷汞雷管の製造については七月二八日の実験失敗の直後か
   ら作業にとりかかっていた。七月二九日に、精製水を、八月
             154P
   
   一日にエタノールを、それぞれ購入した。これらは雷汞の製
   造に必要なものである。大道寺あや子によれば「私は既に雷
   汞に塩素酸カリを混合し液体につけてあった爆粉やピクリン
   酸や塩素酸カリと硫黄を一対一に混合したものなどを持って
   狼の構成員(請求人益永―引用者)の家に行き…管体につめ
   たりする作業を」(六月一五日付(二八丁目〜二九丁目))し
   た。
    請求人益永が雷汞雷管を完成させて八月一〇日当日、大友
   荘にもってきた。ペール缶の口金(プラグ)には請求人益永
   がドリルで穴をあけておいた。この穴から雷管のリード線に
   通じるビニール被覆線を出すようにして、雷管の本体は塩素
   酸カリウムの白色火薬を詰めた位置に該るような具合にし
   た。請求人益永によれば「紙を丸めて棒状にしたものでペー
   ル缶の口から中心部に向かって差し込み予め目印をつけてお
   いた塩素酸カリの白色火薬の部分まで穴をあけコードを持っ
   て雷管を穴の中に入れ白色火薬(塩カリ使用)の部分に雷管
             155P
   
   を装てんし」(六月二一日付三〇丁目))たのである。
    ビニール被覆線が外部に出る口金(プラグ)の穴には請求
   人大道寺が接着剤を詰めた(請求人大道寺、六月一四日付三
   六丁目))。
   (4) 消火器爆弾
     ペール缶爆弾の他に消火器爆弾も製造した。その目的は
    虹作戦の「陽動作戦として交番の裏に仕かけるために作っ
    たものでグリーンに塗ったのは現場が草むらでありました
    ので目立たないようにするためで」(請求人大道寺、六月
    二五日付(二五丁目))あった。爆薬の種類は塩素酸ナトリ
    ウムを酸化剤とする砂糖代用爆薬である。北方文化研究施
    設事件で既に製造していたが、その「結果」からして請求
    人両名らはいわゆる黒色火薬よりも威力が劣るものと認識
    していた。しかし陽動作戦として使用するものであって、
    虹作戦の主目的に使うものではなかったから威力は本来的
    に問題とはならなかった。従ってセジットSを爆薬として
             156P
    
    使用することもありえたが(爆薬の材料は全て自由に確保
    できた。)、七月二八日の実験でも失敗したのであるから、
    この消火器に詰める自信が請求人両名らには全くなかった
    のである。陽動作戦とはいえ、確実に少なくとも爆燃する
    ことは必要であった。そうすると、請求人両名らの当時の
    手持材料からして、塩素酸ナトリウム、砂糖、硫黄の配合
    組合せしか考えられなかったのである。塩素酸カリウム、
    黄血塩はペール缶の方に使用せざるをえなかったからであ
    る。そこで、八月一〇日当時、なけなしの貴重品であった
    硫黄(請求人両名らは硫黄が不可欠の混合要素であると認
    識していた。)を使用することにして、塩素酸ナトリウム
    を酸化剤とする砂糖代用爆薬を製造したのである。
     その爆薬の量は「塩素酸ナトリウム六、重量約九OOグ
    ラム位、砂糖三、重量約四OOグラム位、硫黄一、重量約
    一五〇グラム」(請求人大道寺、六月一二日付(乙一16)
    (一四丁目))である。この消火器爆弾にはセジットSは全
             157P
    
    く使用されていないし、またペール缶爆弾には塩素酸ナト
    リウム、砂糖、硫黄の爆薬は全く使用されてはいないので
    ある。
     この消火器爆弾は後に帝人事件に使用された。
 (三)、設置に至る経緯
   (1) 第一次設置(虹作戦)
     八月一四日午前一一時の爆破のために、一三日午後一一
    時頃請求人両名ら四名は大友荘をスバル一OOOで出発し
    た。ペール缶爆弾二個を近くに駐車しておいたスバル一〇
    OOのトランクにペール缶を立てるようにして積んだ。大
    友荘(荒川区南千住七―二六―一二)から一旦、日光街道
    に出て、都電線路に沿って北本通りを北上して荒川河川敷
    に向った。河川敷に着いてペール缶爆弾をトランクから出
    したが予期せぬ事態が発生し断腸の思いで結局作戦実行は
    中止された。再びペール缶爆弾はスバル一OOOのトラン
    クに往路の時と同じように積まれて大友荘に戻った。
             158P
    
   (2) 第二次設置(三菱重工事件)に至る経緯
     八月一四日未明から本件爆弾は三菱重工事件(八月三〇
    日)前夜まで大友荘二階、請求人大道寺、大道寺あや子の
    居室に保管されたままであった。その間請求人両名らが本
    件爆弾に手をふれることもなかった。しかし三菱重工事件
    の実行を決めて、八月二九日の夜半に請求人両名らは再び
    本件爆弾に接触することになった。本件爆弾に警告文をは
    りつけることになったからである。その間の経緯につき、
    請求人大道寺によれば「(警告文を)ペール缶の上部に貼
    りつけました。…この後、…ペール缶を茶色の包装紙で包
    みました。最初缶を立てたまま包装紙で包もうとしたので
    すがなかなか包めず最後には包装紙の上に爆弾を横たえ転
    がしながら包みました。その際ペール缶の中で爆薬がガサ
    ガサ音をたてていた」(六月一四日付(五四丁目))のであ
    る。更に、包装してからビニールの梱包用紐でペール缶を
    しばったがその際も横転させたのである。
             159P
    
     翌三〇日、本件爆弾はスバル一OOOのトランクに積ん
    で、大友荘から御茶の水聖橋付近まで搬送された。一旦、
    スバル一OOOからおろされ、再びタクシー乗車席でかか
    えられて、三麦重工ビルまで運ばれたのである。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
             160P
    
 四、爆発原因と事前認識
  1、爆発原因の究明
    本件爆弾は昭和四九年八月三〇日午後〇時四五分頃爆発し
   た。その爆発現象は右三、2「本件爆弾の製造及び設置に至
   る経緯」で摘示した事実の結果である。三月一七日、六月三
   〇日、七月二八日のセジット爆発実験は全て失敗している。
   そうすると八月三〇日のみが爆発した原因は、三回にわたる
   実験の状況(経過)との相違のなかに存するはずである。そ
   の相違点を物理的・化学的視点から分析すれば次のとおりで
   ある。
 (一)、セジットSの形状
    三回の実験と本件爆弾ではセジットSの形状が決定的に違
   っていた。クサトール、ワセソン、パラフィンの混ぜ方は前
   記『火薬技術者必携』の記載内容のとおりなされた。しかし
   容器(缶体)に充填する際の工程が三回の実験と本件爆弾と
   では全く違ってしまった。実験の時はいずれも「まだ温かく
             161P
   
   土状のものを容器につめ、上から手で圧力を加え……これを
   冷やすとろうそく状にな」(大道寺あや子、六月一五日付
   (四丁目、五丁目))ったのである。
    しかし、本件爆弾のセジットSの形状は粒状のものであっ
   た。大道寺あや子のメモに従って、クサトール、ワセリン、
   パラフィンを混ぜて「これを放置して冷やしますとざらざら
   した固まりになります。三菱重工の爆弾にはこのように冷し
   てざらざらした固まりになったものを使」(大道寺あや子、
   六月一五日付(五丁目))ったのである。請求人大道寺(六
   月一四日付(三二丁目))、請求人益永(六月一日付(一一
   丁目)、六月一二日付(二七丁目))もほとんど同旨である。
    ところでセジットSを含めてセジット一般の形状は粉状の
   ものである。鑑定意見書添付資料『火薬概論』(ルアルール
   著)によれば「撹拌して油様となり均質に着色されたなら、
   練桶から取り出し冷却する。数時間後に集塊状となる。包装
   前に断裁せねばならない。それには、冷却時に十分油様とな
             162P
   
   っていれば銅製の織布を通すが、そうでなければ、まずロー
   ラーにかけて、塊を壊しておく必要がある。」(五頁)とな
   っている。また同しく『火薬と爆薬』(ヴナン他著)によれ
   ば「二重釜で温められたエナメル引の槽の中で、80℃のひま
   し油にニトロ化合物を溶かし、そこに粉末にし乾燥させなま
   ぬるくした塩素酸塩を少しづつ加えていく。25kgの薬量の練
   り混ぜに10分程度を要する。それを台の上にあけ、ローラー
   で薄い層にのばす。冷えてくるとこの板はローラーの下で割
   れていく。ついで粒状にしてふるいにかける。」(八頁)と
   なっている。セジット一般の形状は粉状である。粉状にする
   作業工程として「冷却する」ことが必要なのである。
 (二)、白色火薬の充填
    本件爆弾にはセジットSの他に白色火薬も充填することに
   した。その成分は黄血塩を混合させるいわゆるオージャンド
   ルといわれるものである。しかも酸化剤として塩素酸ナトリ
   ウムと塩素酸カリウムの二種類を使用している。三回の実験
             163P
   
   においてはセジットSの他に他の火薬(爆薬)を充填するこ
   とはなかった。
    風雪の群像事件において請求人両名らは塩素酸カリウムを
   酸化剤とするオージャンドルを製造し爆発体験もしていた。
   しかし本件爆弾の際は更に塩素酸ナトリウム(クサトール)
   を酸化剤とするオージャンドルを初めて製造し充填している。
    これら白色火薬(オージャンドル)とセジットSとは別工
   程で製造した。混合比率と量を計算して、ペール缶に充填す
   る前に全てを一緒に混ぜて製造することはなかった。セジッ
   トSは請求人両名らにとって依然としてローソク状のものと
   観念されていたから、セジットSと白色火薬を混合させると
   いう発想はそもそもなかったのである。
 (三)、缶体の振動と横転
    本件爆弾は虹作戦のため八月一三日午後一一時頃、スバル
   一〇〇〇のトランクに積まれ、荒川区南千住(大友荘)から
   荒川河川敷まではこばれた。本件爆弾は設置されることなく
             164P
   
   再び、右大友荘まではこばれた。この往復の際は都電線路に
   そった北本通り及び河川敷を走行したため、途中の凹凸によ
   ってペール缶には相当の振動が加わることになった。そのた
   めペール缶の内部では粒状のセジットSはより粉状化してい
   った。また充填当初のペール缶内部はセジットSと白色火薬
   (二種類)が層状態に構成されていたが、凹凸の振動によっ
   て、ペール缶中央部は層状態がくずれ、両者が混ざり合うよ
   うになった。
    八月二九日、ペール缶を包装し梱包する際、本件爆弾を数
   回横転させている。「その際、ペール缶の中で爆薬がガサガ
   サ音をたてていた」(請求人大道寺、六月一四日付(五四丁
   目))ほどであった。もともとペール缶の上部には五センチ
   メートルほどの空間があったが振動によって下部に圧せられ、
   上部空間が大きくなっていたため、横転(回転)によってセ
   ジットSと白色火薬が混ざり合う状態が進行した。ペール缶
   中央部の層状態は両者がよく混合された状態に構成変化して
             165P
   
   しまった。
   
  2、爆発と事前認識
 (一)、セジットSの爆発の条件
    本来のセジットSとは粉状の火薬であり、着火が適切なら
   燃焼は急速である。缶体に閉じこめれば、十分に爆発する。
   しかし粉末化の状態によっては燃焼と爆発の発生もさまざま
   に変化することになる。
    セジットSが爆発するための条件を整理してみよう。
   @ セジットSの形状が十分に微細なら、セジットSのみで
    ガスヒーターの点火で爆発することができる(これは荻原
    証言とも符合する)。
   A セジットSの形状が十分に微細でなく、大き目の粒状で
    あれば、ガスヒーターの点火では爆発しない。雷管でも不
    発に終わる。
   B セジットSの形状が固形状(ローソク状)であれば、爆
             166P
   
    発しない。雷管を使用しても爆発しない。
    次に、中央層に白色火薬が挟みこまれて、セジットSとは
   混ざり合っていない場合はどうであろうか。
   C セジットSの形状が十分に微細なら、ガスヒーターで爆
    発する。
   D セジットSの形状が十分に微細でなく、大き目の粒状で
    あれば、ガスヒーターの点火では爆発しない。雷管でも不
    発に終わる。
   E セジットSの形状が固形状(ローソク状)であれば、爆
    発しない。雷管を使用しても爆発しない。ただし、白色火
    薬がセジットSを上回るほど多ければ、白色火薬の燃焼す
    る熱でセジットSの一部が気体に変わり、燃焼から爆発を
    発生することもあり得る。
    更に、中心部分でセジットSが白色火薬とよく混合してい
   る場合はどうか。
   F セジットSの形状が十分に微細なら、ガスヒーターで爆
             167P
   
    発する。
   G セジットSの形状が粒状でも、ガスヒーターで爆発する。
   H セジットSの形状が固形状であれば、そもそも白色火薬
    と混合することはあり得ない
    本件爆弾は右のGの状態であった。
    鑑定意見書によれば、粉状ないし粒状のセジットSと白色
   火薬(オージャンドル)の混合したものは一瞬のうちに激し
   く燃焼した。しかし、固形状(ローソク状)のセジットSと
   白色火薬が層状憩にあるものは白色火薬が燃焼してもセジッ
   トSの一部を溶かすのみで、セジットSを燃焼させるに至ら
   なかったのである。
 (二)、爆発の事前認識
    本件爆弾の爆発結果は右1、一、二、三、の各原因が重な
   って惹起したものである。そうすると、その事前認識の問題
   は当然に、右1、一、二、三、の事実を請求人両名が認識し
   ていたのかということにならざるをえない。
             168P
   
   (1) セジットSの形状に関する認識
     三回の実験においてはいずれもローソク状のセジットS
    を製造している。実験の際、温かいまま容器につめること
    になった理由は大道寺あや子が右『火薬技術者必携』の記
    載をメモに正確に転記しなかったからである。右六月一五
    日付調書添付のメモ(写)一二枚目中段のセジット製造工
    程には「日本では製造不許可。フランスではO―爆薬とい
    われる。80℃前後に加温されたヒマシ油にニトロ化合物を
    加え、約55℃に冷却してから、乾燥、粉砕したkclO3
    を加えて混合し、成形して紙筒につめる。」とメモしてあ
    る。しかし右『火薬技術者必携』の記載は「……塩素酸カ
    リウムを加えて混合し冷却して成形して紙筒につめる。」
    というものである。容器に充填する前に「冷却する」とい
    う工程を明らかに書き落としてしまったのである。温かい
    まま容器につめれば、その容器の形態のとおりローソク状
    になることは明らかであった。
             169P
    
     ところで請求人両名らがセジットについて探索し参考に
    しえた文献・資料はいずれも不正確・不十分なものであっ
    た。大道寺あや子がメモとして転載することになった『火
    薬技術者必携』には確かにニトロ化合物を含むセジットの
    製造工程が説明されてはいたが、出来上がったセジットの
    形状についてはなんら記載されていない。粉状(粒状)で
    あるのか、ローソク状に固まっているのか全く明らかにさ
    れていない。また『バラの詩』でも同様である。「約80℃
    に湯浴上で加熱したひまし油にニトロ化合物……を加え、
    溶解してから、60℃位に冷却し乳バチでよくすりつぶした
    塩素酸塩を加え混合する。」という説明のみで、塩素酸塩
    (クサトール、塩素酸カリウム)を混合してからの工程は
    全く記載されていない。『火薬技術者必携』の「……塩素
    酸カリウムを加えて混合し冷却して成形して」という記載
    が完全に欠落しているのである。勿論セジットの出来あが
    った形状(粉状)については一言も説明されてはいない。
             170P
    
    『バラの詩』に依拠してセジットを製造してもローソク状
    の固まったセジットであれば、請求人両名らの実験の時と
    全く同様のものである。判決がしばしば引用している『火
    薬と発破』に至ってはセジットの性能について若干の説明
    がなされているのみで、製造工程、形状については全く記
    載がないのである。
     そうすると請求人両名らが実験の際、三回ともセジット
    Sを粉状にすることもなく容器につめてローソク状に固め
    たことは、当時の請求人両名らの認識体系においては合理
    性があったことになる。大道寺あや子がメモへの転記にお
    いて「冷却」工程を書き落としたとしても、そもそもセジ
    ットSの形状が粉状であることを知らなかったのであるか
    ら、そのことが問題視されなかったことはきわめて当然で
    あった。むしろ請求人益永によれば「できるだけしっかり
    固まっているほうが密度も高いし、爆発しやすいし威力も
    ある」(六六回公判)と認識していたのである。
             171P
    
    しかし本件爆弾のセジットSの形状が粒状になったのは、
    請求人両名らの認識体系に変更があったためではないので
    ある。缶体として使用することになったペール缶の形態が
    偶々、ロ金型であったため粒状にしなければ充填すること
    が凡そ出来なかったからである。意図的に粒状にしたので
    はなかったのである。実際に請求人益永は、セジットSを
    ペール缶につめてから「できるだけ固めたいというつもり
    があったんですけれどもいくらやっても固まらな」(六六
    回公判)かったのである。
     請求人両名はセジットSを含めてセジット一般の製品的
    形状が粉状であることは凡そ知らなかったのである。
   (2) 白色火薬の充填に関する認識
     請求人両名らが白色火薬を充填したのは、セジットSの
    みでは三回の実験の時と同じように不発の可能性を解消で
    きなかったからである。セジットSの量を増やすことは根
    本的な解決にはならなかった。実験失敗の原因が究明でき
             172P
    
    ていなかったからである。そうすると請求人両名らはそれ
    までの実体験から確実に爆発する火薬(爆薬)に執心せざ
    るをえなかった。それが風雪の群像事件の塩素酸カリウム
    を酸化剤とするオージャンドルであった。しかし塩素酸カ
    リウムの手持ちの量が限られていたため、オージャンドル
    の量も限定されることになる(塩素酸カリウム=五○パー
    セント、黄血塩・砂糖=各二五パーセント)。そこで塩素
    酸ナトリウム(クサトール)を酸化剤とするオージャンド
    ルを請求人両名らは初めて製造している。クサトールであ
    ればその量はほとんど無制限であったからである。しかし
    いずれにしてもセジットSの他にオージャンドルを二種類
    まで製造し充填することにしたのはいかにセジットSに対
    する威力の認識がなかったかを証して余りあるものである。
     請求人両名らは白色火薬とセジットSを別工程(分けて)
    で製造している。風雪の群像事件の爆弾でも二種類の火薬
    (爆薬)が充填されている。塩素酸ナトリウム(クサトー
             173P
    
    ル)を酸化剤とするいわゆる砂糖代用爆薬と、塩素酸カリ
    ウムを主体とするオージャンドルである。これらの二種類
    の火薬(爆薬)の製造は缶体への充填前から一緒に混ぜて
    製造されていた。従って缶体に充填する際も二種類のもの
    が層状態に(あるいは区分けされて)充填するということ
    はなかった。しかし本件爆弾においてはセジットSと白色
    火薬(二種類)が対称型に層状をなして充填されていたの
    である。セジットSと白色火薬を一緒に混ぜるという観念
    がそもそも請求人両名らにはなかった。セジットSは依然
    としてローソク状のものと認識していたのであるから、一
    緒に混ぜるという発想は不自然であった。従って、セジッ
    トSと白色火薬を混ぜて燃焼実験を試みる(爆弾製造の準
    備として鉄則であろう。)という「常識」があてはまらな
    かった。白色火薬をペール缶の中央部に充填してその部分
    を確実に爆発させようとしたのであるから、充填後、振動
    と横転によつてペール缶内部において両者が混じり合うこ
             174P
    
    とは認識の範囲外であったし、意図したことでは毛頭なか
    ったのである。
   (3) 缶体の振動と横転に関する認識
     八月一〇日、一一日の両日で本件爆弾(ペール缶二個)
    が製造された。セジットS、白色火薬(二種類)が充填さ
    れた後、ペール缶内部の構造が意図的に変更されたことは
    なかった。虹作戦のための運搬と、三菱重工事件のための
    横転によって、ペール缶内部の爆薬組成が爆発条件に、よ
    り適合的に変化したことは請求人両名が知りうる事項では
    凡そない。請求人両名の認識の範囲外で本件爆弾の爆発条
    件(前述2、(一)、G)が成就したのであった。
     請求人両名の認識の範囲を超えていたことは、本件爆弾
    の缶体が偶々ペール缶になってしまったことからも裏付け
    られる。請求人両名が八月四日にペール缶を取得すること
    になったのは前日(三日)のガソリンタンク購入と関連す
    る。請求人益永が購入先の店主から人相や車のナンバープ
             175P
    
    レートを覚えられたおそれから急遽、ペール缶に変更した
    のであった。仮にそのような事情がなければ、ガソリンタ
    ンクにセジットS、白色火薬を充填していたことになる。
    そうすると、ガソリンタンクはペール缶の如く円柱形では
    ない(請求人大道寺、一一月六日付調書添付写真bP)か
    ら、振動はともかくとして、包装の際、横転させる必要は
    全くない。ガソリンタンクであれば、セジットSと白色火
    薬が中央部において混じり合う状態が生しなかった可能性
    がきわめて高いのである。セジットSと白色火薬が混じり
    合うことが爆発条件であるから、ガソリンタンクの場合は
    セジットSの部分まで完爆しなかったことが十分に予想さ
    れるのである。
     以上によれば、本件爆弾がセジットSの部分まで完爆し
    たことは、いくつかの偶然的事情が重なったためであって、
    請求人両名の認識・意図を超えていたことは明らかである。
    請求人両名に本件爆弾の威力の認識はなかったのである。
             176P
    
   (4) 請求人両名の爆弾に関する知識
     判決は請求人両名が本件爆弾につき威力認識があったこ
    との前提として、爆弾に関して「相当高度の知識」を持っ
    ていたことを摘示している。具体的には『腹腹時計』の記
    載内容を指している。
     しかし『腹腹時計』の記載内容は科学的には誤っている。
    「砂糖で代用した火薬は五キログラム単位で使わないと威
    力は望めない。塩素酸カリウムを主剤にした火薬・爆薬を
    混合し併用するならば、より良い結果を引き出しうる。」
    という記載は実践的意味をもつ内容である。これによれば
    砂糖で代用した場合は、木炭を混合した場合に比較して、
    相当威力が劣り、五キログラム単位で使う必要があること、
    また、塩素酸カリウムを併用すれば、砂糖で代用したこと
    を補うことができるということになる。ここから、砂糖が
    威力的には劣り、そして「塩カリ信仰」というべき認識体
    系が生ずることになった。しかしこれは誤りである。
             177P
    
     木炭と塩素酸ナトリウム、砂糖と塩素酸ナトリウムの混
    合火薬がそれぞれ完全燃焼するものとして得られる反応式
    は次のとおりである(計算式は『火薬と発破』に従って求
    めた)。
    @ 木炭と塩素酸ナトリウム
       5/4C+NaClO3
       →1/2Na2CO3+3/4CO2+1/2Cl2
    A 砂糖と塩素酸ナトリウム
       5/48C12H22O11+NaClO3
       →1/2NaCO3+3/4CO2+1/2Cl2
       +55/48H2O
     反応の結果、得られたガス(生成気体)のモル数は全て
    1・25モルであるが、各物質の生成熱(Kcal/mol)
    と分子量は次のとおりである(日本化学会『化学便覧』
    による)
    @ Na2CO3(炭酸ナトリウム)
             178P
    
      270.25(生成熱)   105.9(分子量)
    A CO2(二酸化炭素)
       94.05          44.01
    B Cl2(塩素)
        0             35.45
    C H2O(水)
       68.3           18.02
      次に、これらに基づいて酸化剤1モル当たりの発生結果
     熱量を求めると、以下のとおりである。
    @ 木炭と塩素酸ナトリウム    139.9Kcal
    A 砂糖と塩素酸ナトリウム    162.6Kcal
      次に、生成ガスの比熱を10cal/degとし、燃焼
     ・爆発前の温度を0℃(273゜K)として、燃焼・爆発温
     度を求めると、以下のとおりである。
    @ 木炭と塩素酸ナトリウム
       T1 =139900/(1.25×10)+273
             179P
    
         =11465゜K
    A 砂糖と塩素酸ナトリウム
       T1 =162600/(1.25×10)+273
         =13282゜K
      次に、ガス比容(V0)を求める。
    @ 木炭と塩素酸ナトリウム
       V0 =22.4×1.25×1000/121.41
         =230.71
    A 砂糖と塩素酸ナトリウム
       V0 =22.4×1.25×1000/142.1
         =196.89
      次に、比エネルギーを、f=V0 ×T1 /273より求
     める。
    @ 木炭と塩素酸ナトリウム
      f=230.71×11465/273
       =9797atm-1
             180P
    
    A 砂糖と塩素酸ナトリウム
      f=196.89×13282/273
       =9565atm-1
     右の計算によれば塩素酸ナトリウムを酸化剤として完全
    燃焼することを仮定した場合は、木炭と砂糖では燃焼剤と
    してほとんど同等の比エネルギーが発生することになる。
     また塩素酸カリウムと塩素酸ナトリウムを酸化剤として
    混合した火薬(燃焼剤として木炭)の比エネルギーを求め
    ると、
     木炭と塩素酸カリウム   f=7056atm-1
     木炭と塩素酸ナトリウム  f=9797atm-1
    であって、塩素酸ナトリウムを使用した火薬の方が塩素酸
    カリウムより約一・四倍の比エネルギーを発生することに
    なる。塩素酸カリウムが塩素酸ナトリウムより威力が優る
    とは決して言えないのである。
     これらの化学的事実は鑑定意見書によっても十分に裏付
             181P
    
    けられたのである。
 (三)、証拠の明白性と新規性
    請求人両名は第一審の時から、本件爆弾の威力について認
   識がなかったこと、従って殺意がなかったことを一貫して主
   張していた。しかし本件爆弾の物理的・化学的解明が確定前
   にはなされなかったので、その主張が具体的な証拠を以て十
   分に裏付けられたとは言い難かった。
    請求人両名、弁護人らは判決確定後、本件爆弾、殊にセジ
   ットSの科学的解明に全力を注いだ。昭和六二年一〇月、東
   京都立大学工学部湯浅欽史助教授に、本件爆弾の基礎的分析
   を鑑定依頼した。その結果、はじめてセジットSという火薬
   (爆薬)がいかなるものであり、本件爆弾がなぜ爆発したの
   かの物理的・化学的原因を解明することができたのである。
   そしてその爆発条件を分折すれば、請求人両名の認識を超え
   ていたことが十分に裏付けられたのである。これは殺意を認
   定した判決が誤っていることを裏付ける証拠であって、刑訴
             182P
   
   法四三五条六号の、いわゆる明白性及び新規性を満たすもの
   である。
 五、結語―真実の隠蔽
   これまで論述してきたとおり、請求人両名には本件爆弾の威
  力につき認識はなかったし、従って殺意がなかったことは明ら
  かである。いわゆる爆弾事件は当該爆弾の物理的・化学的構造
  の基礎的分析から出発しなければならない。殊に本件爆弾はそ
  れまで一般には知られていなかった「セジット」であるからな
  おさらである。しかし判決は本件爆弾―「セジット」の基礎的
  分折を全く欠落させて、しかも、殺意認定に都合のよい事項の
  みを只雑然と摘示することに終始したのである。
   そして検察官も本件爆弾―「セジット」の基礎的資料を隠蔽
  して、「事案の真相」を究明する客観的義務を自ら放棄したの
  である。即ち、捜査機関は本件爆弾の物理的・化学的解明のた
  めに、二度にわたって基礎的実験(爆破も含む)を行っており
             183P
  
  (二五回荻原証言)、その際の資料(実験報告書等)を今でも
  所持している。しかし検察官は公判においても、確定後におい
  ても、それら資料の開示を依然として拒んでいるのである。
   真実発見の見地からして、右資料を開示すべきである。
   判決が請求人両名に三菱重工事件につき殺人(殺人未遂)罪
  を認定したことは誤りであるから、刑訴法四三五条六号に該当
  することは明らかである。
   よって、請求の趣旨記載のとおり、再審の開始を求め、第一
  審判決の破棄を求めるものである。
       添付書類
  一、弁護人選任届           二通
  一、判決謄本             一通
  一、鑑定意見書            一通
  一、鑑定意見嘱託書          一通
                            以上
             184P


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